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参禅会だより

令和5年4月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(3)

IMG 3313JPG 1また香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ行粥飯僧とならん、といひて、行粥飯して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。このくにの陪饌役送のごときなり。
かくのごとくして大潙にまうす、智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辞せず。おそらくはのちになんぢわれをうらみん。
かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて武当山にいりて、国師の庵のあとにくさをむすびて為庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併浄するちなみに、かはらほどばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、豁然として大悟す。沐浴し、潔斎して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、
一撃亡所知、更不自修治。動容揚古路、不堕悄然機。処処無蹤跡、声色外威儀。諸方達道者、咸言上上機。
《一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路に揚がり、悄然の機に堕せず。処々蹤跡無し、声色外の威儀なり。諸方達道の者、咸く上々の機と言ふ》
この偈を大潙に呈す。大潙いはく、此子徹也。

今月の所感

IMG 3319JPG 1龍泉院の境内は、ツツジや藤や牡丹や石楠花などの花が咲き乱れ、春爛漫と言った風情でした。

今月の「谿聲山色」のご提唱は、先月途中で終わってしまった香厳撃竹大悟の箇所を、最初から再度読み直しました。この話は大変有名で、『景徳傳燈録』巻11を初め、『聯燈會要』巻8や『五燈會元』巻9などの燈史の鄧州香嚴智閑禅師の章に、また大慧宗杲の語録『正法眼蔵』巻2や『禅宗頌古聯珠通集』巻25などにもみられます。
香嚴智閑禅師(?~897)は百丈懐海禅師(749〜814)について出家し、のち潙山霊祐禅師(771〜853)に参じました。潙山より「お前さんは聡明にして博学であるが、ひとつ注釈書の中から憶えたものではなく、父母未生以前から得た一句を、わがために語ってみよ」と言われました。
父母未生以前とは父も母もまだうまれない以前ですから、当然自分自身も生まれていないことです。転じて迷悟・凡聖等の二見を超越した、一念の起こらぬ当体、人人自己本来具有している心性。あるいは本来の面目の当処を指します。
そこで香厳さんは何度も試みてみましたが、なかなか見当がつきません。ふがいない自分を恨み、長年にわたって集めていた仏教の注釈書を読み漁りましたが、明解な答えを求めることができませんでした。
そこで役に立たない書籍を焼却してしまい、「画に描いた餅では、飢えをしのぐことができない。私は一生、仏法を学ぶことを望まない。そのかわり、修行僧たちが仏法を得することができるように、真の食事をつくる行粥飯僧になろう」と言って、香厳さんは粥飯を行じて幾年も過ごしたのです。
ところで、香厳さんは「画に描いた餅では、飢えをしのぐことができない」と言いましたが、『正法眼藏』「谿聲山色」の巻の一つ前の「画餅」の巻では、道元禅師は「画餅不充飢」について詳しく拈提されています。
この巻は非常に難解でしかも凡人の常識をはるかに超えたところがあります。道元禅師は「画餅不充飢」について、「画餅にあらざれば充飢の薬なし」と述べられ、画餅でなければ飢えをみたすことができない、画餅だからこそ飢えを充たすことができるのであると、拈提されておられます。まったく凡人の考えとは逆転しているのです。機会があれば、明石方丈様に「画餅」の巻のご提唱をいただきたいものです。
IMG 3314JPG 1かくして、香厳さんは潙山和尚に、「私は身も心も昏く、和尚さまの問には答えることができません。どうか私めに教えを垂れて下さい」と懇願しました。すると潙山和尚は、「わしはお前さんのために説くことを辞するものではないが、しかし、そうしたならば、後にお前さんはわしを恨むことになるであろう」と告げました。
香厳さんは潙山和尚のもとを去り、六祖慧能の法嗣の南陽慧忠大証国師(?~775)の蹤跡をたづね、草庵を結び、草庵のまわりに竹を植えて住んでいました。ある日、道路の掃除をしている時に、掃いた小石が飛んで竹に当たり、カツンと音が響きました。それを聞いた時、香厳さんは豁然を大悟したのです。
庵に帰りはるか大潙山に向って、「大潙大和尚、むかし私のために説いてくださったならば、どうして今、このようなことがあるでしょうか。和尚の恩の深いことは父母よりもすぐれています」と感謝の言葉を述べました。そして次のような偈をつくったのです。
「小石が竹に一撃したあの音で、今まで知識で形作っていた世界は崩れ、もはやあれこれ思い煩うことはない。私のありのままの姿が古仏の道につらなっており、わびしくとも静かに力がみなぎる。どこにもとらわれる跡形がなく、一切万境の外の世界にいる。諸方の道に達した方々が、皆、上々のはたらきだと言ってくださるだろうか。」
この偈を潙山和尚に呈した時、「こやつは徹底しよったわい」と潙山和尚は絶賛したのです。
明石方丈様は、香厳さんが潙山和尚に、「智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。」と懇願した時には、潙山和尚は香厳さんが既に悟っていることを分かっていたのだが、不立文字、教外別伝を標榜する禅では、経典から離れてひたすら坐禅辨道することによって、悟りを直接体験することを重視することから、潙山和尚は敢て説かず、香厳さんが何かのきっかけで悟ることを待っていたのだと言われました。まさに洞山過水の偈も同じことが言えるのではないかと仰られていました。

今月のお知らせ

例年4月には坐禅の始まる8時30分から坐禅指導がありましたが、今年は諸般の都合で中止となりました。また、定例参禅会の後に行われていた筍堀は、例年より筍の出るのが早く、すでに掘り尽されているため、今年は中止となりました。

IMG 3318JPG 1杉浦明珠編集委員長からのお知らせ

・『明珠』の編集は五十嵐さんと吉澤さんの3人で行うことになりました。また龍泉院のHPと併せて広報戦略を立てていきたいと思います。
・椎名老師から毎週1回お電話をいただいています。ご老師にはじっくりとリハビリに励んでいただきたいと思っています。

佐藤年番幹事からのお知らせ

・降誕会の参加者は15名でした。
・今日の筍堀は中止です。
・一日接心の参加申込は現在14名です。来月も参加申込を受付けます。
・3月4月の月番幹事を小林さんが務めてくださいました。5月6月は齋藤さんにお願いしました。

小林月番幹事からのお知らせ

・裏山に金襴が咲いています。三角山にも山野草が咲き始めました。

松井さんからのお知らせ

・金襴がきれいに咲いているので散策しましょう。

岡本さんからのお知らせ

・前年からの多大な繰越金のお陰で安心して会計が行えます。

明石方丈様からのお知らせ

・今月の26日と27日に裏山のお墓の傍の大きな杉の木を伐採します。
・裏山にはニラに似た水仙がありますが、水仙の葉には猛毒がありますから、ニラと間違えて採らないでください。

 

今月の司会者 佐藤修平
今月の参加者 21名
来月の司会者 佐藤修平

令和5年4月降誕会報告

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IMG 3300JPG 1令和5年4月8日(土)午後2時から龍泉院本堂で降誕会が催されました。
本堂の正面に花御堂が置かれ、甘茶で満たされた灌仏盤と呼ばれる器の中に、生まれたばかりのお釈迦さまが安置されていました。
導師は明石住職、送迎は佐藤さん、侍者は松井さん、侍香は山桐さんが務められました。
殿鍾三会で参禅会員は本堂に入堂し、七下鍾が打たれ導師一行が入堂されました。
導師から釈尊の生誕を奉祝する法語が述べられ、『般若心経』を全員でお唱えし、杉浦さんが朗々と回向文を読み上げられ、普同三拝の後、導師一行は退堂して降誕会の法要は円成しました。
その後、明石方丈様から「逆境をプラスに変える」と題してのご法話がありました。

山野草のオオバコ(大葉子、車前草)は動物に踏みつけられることによって繁殖する植物です。まさに逆境をプラスに変える植物です。
『正法眼蔵』「説心説性」の巻には、「いまの一當は、むかしの百不當のちからなり、百不當の一老なり。」というお言葉があり、逆境にあっても精進・努力を継続して行くことの大切さが説かれています。愚直に努力して行くことによって、やがて結果がついてくるのです。

次に生物学者で青山学院大学教授であり、大のフェルメール好きの福岡伸一氏の「動的平衡」について、次のようなご紹介がありました。

生物の絶え間ない物質、エネルギー、情報交換。それは自らを壊しつつ、創り変えることでなされているのです。自ら壊すのは、エントロピー増大の法則に対抗するために、常に新しく創り変えなければならないからです。
生命とは分解と合成を繰り返し、あやういバランスを保つ動的平衡のことであると、福岡伸一氏を述べているのです。
「説心説性」の巻には続けて、「佛道は、初發心のときも佛道なり、成正覺のときも佛道なり、初・中・後ともに佛道なり。」とあります。生命活動とは分解と合成を止めないことだとお話しましたが、佛道も絶えず行じ続けなければなりません。従って、佛道も動的平衡であると言えるのではないでしょうか。

以上が「逆境をプラスに変える」のご法話でした。ご法話の後に、小畑代表から添菜されたお供物をいただきました。小畑代表に感謝・感謝です。

令和5年2月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(1)

IMG 1947JPG 2阿耨菩提に伝道受業の仏祖おほし、粉骨の先蹤即不無なり。断臂の祖宗まなぶべし、掩泥の毫髪もたがふることなかれ。各各の脱殻をうるに、従来の知見解会に拘牽せられず、曠劫未明の事たちまちに現前す。恁麼時の而今は吾も不知なり、誰も不識なり、汝も不期なり、仏眼も覰不見なり。人慮あに測度せんや。
大宋国に東坡居士蘇軾とてありしは、字は子瞻といふ。筆海の真龍なりぬべし、仏海の龍象を学す。重淵にも游泳す、層雲にも昇降す。あるとき盧山にいたれりしちなみに、渓水の夜流する声をきくに悟道す。偈をつくりて常總禅師に呈するにいはく、
谿声便是広長舌、   《谿声便ち是れ広長舌、
山色無非清浄身、   山色清浄身に非ざること無し。
夜来八万四千偈、   夜来八万四千偈、
他日如何挙似人。   他日如何が人に挙似せん》
この偈を總禅師に呈するに、總禅師然之す。總は照覚常總禅師なり、總は黄龍慧南禅師の法嗣なり、南は慈明楚円禅師の法嗣なり。
居士あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印さづくるに、法衣仏戒等をもてす。居士つねに法衣を搭して修道しき。居士仏印にたてまつるに無価の玉帯をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。
しかあれば、聞谿悟道の因縁さらにこれ晩流の潤益なからんや。あはれむべしいくめぐりか現身説法の化儀にもれたるがごとくなる。なにとしてかさらに山色をみ、谿声をきく。一句なり

令和5年3月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(2)

この居士の悟道せし夜は、そのさきの日、總禅師と無情説法話を参問せしなり。禅師の言下に飜身の儀いまだしといへども、谿聲のきこゆるところは、逆水の波浪たかく天をうつものなり。しかあればいま谿聲の居士をおどろかす、谿聲なりとやせん、照覺の流瀉なりとやせん。うたがふらくは照覺の無情説法の語ひびきいまだやまず、ひそかに谿流のよるの聲にみだれいる。たれかこれ一升なりと辨肯せん、一海なりと朝宗せん。畢竟じていはば、居士の悟道するか、山水の悟道するか。たれの明眼あらんか、長舌相清浄身を急著眼せざらん。
また香厳智閑禅師かつて大潙大圓禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。

今月の所感

筆者は今月の定例参禅会を所要の為、お休みしました。従って今月の所感は休止させていただきます。来月のご提唱をお聞きして、補完的に所感を述べることがあるかもしれません。

令和5年2月涅槃会報告

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IMG 8593JPG 1令和5年2月15日(水)午後2時から涅槃会が龍泉院本堂で行われました。明石方丈様が導師を務められ、送迎は佐藤さん、侍者は松井さん、侍香は山桐さんが務められました。
七下鐘が打たれ、導師一行が入堂しました。本堂には正徳5年(1715)に浅草の佛絵師市郎兵衛が制作し、当時の領主であった本多氏より寄進された「佛涅槃図」が掛けられていました。
法要が終わり、明石方丈様から「初心について」のご法話がありました。
小畑代表がご用意くださったお供物をいただき、時間のある人は雲堂で報恩の坐禅を一炷行いました。
また、法要の後に杉浦様から、龍泉院の裏山の竹で創作された「難逃之卯(なんのがれのう)」をいただきました。これは龍泉院の初不動(1月28日)際、参拝者に記念品としてお配りされたものです。
竹ひごをはじくと今年の干支の兎が飛び上がって、難を逃れるという仕組みです。可愛い兎が飛び上がる様子が何とも愛くるしいので、つい何度もパチンパチンと竹ひごをはじいてしまいます。
コロナ禍が一刻も早く退散することを祈願した縁起ものですが、これをなんと80個も制作されたそうです。まさに自未得度先度他の菩提心をおこされている杉浦さんならではの菩薩行だと思います。我家では有難くいただいて、リビングにお祀りしていますが、杉浦さんに感謝!感謝!です。

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