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参禅会だより

令和5年8月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(7)

いはんやはじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて國王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり。しかあるにいまかくのごとくの因縁あり、本期にあらず、所求にあらず。人天の繋縛にかかはらんことを期せざるところなり。しかあるをおろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、佛法の功徳いたれりとよろこぶ。國王大臣の歸依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは學道の一魔なり、あはれむこころをわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。
みずや、ほとけののたまはく、如来現在、猶多怨嫉の金言あることを。愚の賢をしらず、小畜の大聖をあたむこと理かくのごとし。

令和5年7月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(6)

IMG 3365JPG 1またこの日本國は海外の遠方なり。人のこころ至愚なり。むかしよりいまだ聖󠄁人うまれず、生知うまれず、いはんや學道の實士まれなり。道心をしらざるともがらに、道心ををしふるときは、忠言の逆耳するによりて、自己をかへりみず、他人をうらむ。
おほよそ菩提心の行願には、菩提心の發未發、行道不行道を世人にしられんことをおもはざるべし、しられざらんといとなむべし、いはんやみづから口稱󠄁せんや。いまの人は、實をもとむることまれなりによりて身に行なく、こころにさとりなくとも、他人のほむることありて、行解相應せりといはん人をもとむるがごとし。迷中又迷、すなはちこれなり。この邪念すみやかに抛捨すべし。
學道のとき、見聞することかたきは、正法の心術なり。その心術は、佛佛相傳しきたれるものなり。これを佛光明とも、佛心とも相傳するなり。如來在世より今日にいたるまで、名利をもとむるを學道の用心とするににたるともがらおほかり。しかありしも、正師のをしえにあひて、ひるがへして正法をもとむれば、おのづから得道す。いま學道には、かくのごとくのやまふのあらんとしるべきなり。たとへば、初心始學にもあれ、久修練行にもあれ、傳道授業の機をうることもあり、機をえざることもあり、慕古してならふ機あるべし、訕謗してならはざる魔󠄁もあらん。兩頭ともに愛すべからず、うらむべからず。いかにしてかうれへなからん、うらみざら

令和5年5月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(4)

IMG 3333JPG 1また霊雲志勤禅師は、三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃華のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、
三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。
自從一見桃華後、直至如今更不疑。
《三十年来剣客を尋ぬ、幾回か葉落ち又枝を抽んづる。
一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず》
大潙いはく、従縁入者、永不退失。《縁より入る者は、永く退失せじ》
すなはち許可するなり。いづれの入者か従縁せざらん、いづれの入者か退失あらん。ひとり勤をいふにあらず。つひに大潙に嗣法す。山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん。
長沙岑禅師にある僧とふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。
師いはく、いかにしてか自己を転じて山河大地に帰せしめん。
いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罣(けい)礙(げ)すべきにあらず。

瑯瑘の広照大師慧覚和尚は、南岳の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、清浄本然、云何忽生山河大地。かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、清浄本然、云何忽生山河大地。
ここにしりぬ、清浄本然なる山河大地を、山河大地とあやまるべきにあらず。

令和5年6月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(5)

IMG 3340JPG 1しるべし、山色谿声にあらざれば、拈華も開演せず、得髄も依位せざるべし。谿声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道する諸佛あるなり。かくのごとくなる皮袋、これ求法の志氣甚深なりし先哲なり。その先蹤、いまの人かならず參取すべし。いまも名利にかかはらざらん真実の參學は、かくのごときの志氣をたつべきなり。遠方の近來は、まことに佛法を求覓する人まれなり。なきにはあらず難遇なるなり。たまたま出家兒となり離俗せるににたるも、佛道をもて名利のかけはしとするのみおほし。あはれむべしかなしむべし、この光陰ををしまず、むなしく黒暗業に賣買すること。いづれのときかこれ出離得道の期ならん。たとひ正師にあふとも、眞龍を愛せざらん。かくのごとくのたぐひ、先佛これを可憐憫者といふ。その先世に悪因あるによりてしかあるなり。生をうくるに爲法求法のこころざしなきによりて、眞法をみるとき眞龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり。この身心骨肉、かつて從法而生ならざるによりて、法と不相應なり、法と不受用なり。祖宗師資かくのごとく相承してひさしくなりぬ。菩提心は、むかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、寶山にうまれながら寶財をしらず、寶財をみず、いはんや法財をえんや。もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪轉すといへども、その輪轉の因縁、みな菩提の行願となるなり。しかあれば、從來の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願すべし。

ねがはくはわれと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん。

令和5年4月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(3)

IMG 3313JPG 1また香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ行粥飯僧とならん、といひて、行粥飯して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。このくにの陪饌役送のごときなり。
かくのごとくして大潙にまうす、智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辞せず。おそらくはのちになんぢわれをうらみん。
かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて武当山にいりて、国師の庵のあとにくさをむすびて為庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併浄するちなみに、かはらほどばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、豁然として大悟す。沐浴し、潔斎して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、
一撃亡所知、更不自修治。動容揚古路、不堕悄然機。処処無蹤跡、声色外威儀。諸方達道者、咸言上上機。
《一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路に揚がり、悄然の機に堕せず。処々蹤跡無し、声色外の威儀なり。諸方達道の者、咸く上々の機と言ふ》

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