Back to Top
 

参禅会だより

令和5年7月報告

印刷 印刷

今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(6)

IMG 3365JPG 1またこの日本國は海外の遠方なり。人のこころ至愚なり。むかしよりいまだ聖󠄁人うまれず、生知うまれず、いはんや學道の實士まれなり。道心をしらざるともがらに、道心ををしふるときは、忠言の逆耳するによりて、自己をかへりみず、他人をうらむ。
おほよそ菩提心の行願には、菩提心の發未發、行道不行道を世人にしられんことをおもはざるべし、しられざらんといとなむべし、いはんやみづから口稱󠄁せんや。いまの人は、實をもとむることまれなりによりて身に行なく、こころにさとりなくとも、他人のほむることありて、行解相應せりといはん人をもとむるがごとし。迷中又迷、すなはちこれなり。この邪念すみやかに抛捨すべし。
學道のとき、見聞することかたきは、正法の心術なり。その心術は、佛佛相傳しきたれるものなり。これを佛光明とも、佛心とも相傳するなり。如來在世より今日にいたるまで、名利をもとむるを學道の用心とするににたるともがらおほかり。しかありしも、正師のをしえにあひて、ひるがへして正法をもとむれば、おのづから得道す。いま學道には、かくのごとくのやまふのあらんとしるべきなり。たとへば、初心始學にもあれ、久修練行にもあれ、傳道授業の機をうることもあり、機をえざることもあり、慕古してならふ機あるべし、訕謗してならはざる魔󠄁もあらん。兩頭ともに愛すべからず、うらむべからず。いかにしてかうれへなからん、うらみざら

令和5年6月報告

印刷 印刷

今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(5)

IMG 3340JPG 1しるべし、山色谿声にあらざれば、拈華も開演せず、得髄も依位せざるべし。谿声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道する諸佛あるなり。かくのごとくなる皮袋、これ求法の志氣甚深なりし先哲なり。その先蹤、いまの人かならず參取すべし。いまも名利にかかはらざらん真実の參學は、かくのごときの志氣をたつべきなり。遠方の近來は、まことに佛法を求覓する人まれなり。なきにはあらず難遇なるなり。たまたま出家兒となり離俗せるににたるも、佛道をもて名利のかけはしとするのみおほし。あはれむべしかなしむべし、この光陰ををしまず、むなしく黒暗業に賣買すること。いづれのときかこれ出離得道の期ならん。たとひ正師にあふとも、眞龍を愛せざらん。かくのごとくのたぐひ、先佛これを可憐憫者といふ。その先世に悪因あるによりてしかあるなり。生をうくるに爲法求法のこころざしなきによりて、眞法をみるとき眞龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり。この身心骨肉、かつて從法而生ならざるによりて、法と不相應なり、法と不受用なり。祖宗師資かくのごとく相承してひさしくなりぬ。菩提心は、むかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、寶山にうまれながら寶財をしらず、寶財をみず、いはんや法財をえんや。もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪轉すといへども、その輪轉の因縁、みな菩提の行願となるなり。しかあれば、從來の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願すべし。

ねがはくはわれと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん。

令和5年4月降誕会報告

印刷 印刷

IMG 3300JPG 1令和5年4月8日(土)午後2時から龍泉院本堂で降誕会が催されました。
本堂の正面に花御堂が置かれ、甘茶で満たされた灌仏盤と呼ばれる器の中に、生まれたばかりのお釈迦さまが安置されていました。
導師は明石住職、送迎は佐藤さん、侍者は松井さん、侍香は山桐さんが務められました。
殿鍾三会で参禅会員は本堂に入堂し、七下鍾が打たれ導師一行が入堂されました。
導師から釈尊の生誕を奉祝する法語が述べられ、『般若心経』を全員でお唱えし、杉浦さんが朗々と回向文を読み上げられ、普同三拝の後、導師一行は退堂して降誕会の法要は円成しました。
その後、明石方丈様から「逆境をプラスに変える」と題してのご法話がありました。

山野草のオオバコ(大葉子、車前草)は動物に踏みつけられることによって繁殖する植物です。まさに逆境をプラスに変える植物です。
『正法眼蔵』「説心説性」の巻には、「いまの一當は、むかしの百不當のちからなり、百不當の一老なり。」というお言葉があり、逆境にあっても精進・努力を継続して行くことの大切さが説かれています。愚直に努力して行くことによって、やがて結果がついてくるのです。

次に生物学者で青山学院大学教授であり、大のフェルメール好きの福岡伸一氏の「動的平衡」について、次のようなご紹介がありました。

生物の絶え間ない物質、エネルギー、情報交換。それは自らを壊しつつ、創り変えることでなされているのです。自ら壊すのは、エントロピー増大の法則に対抗するために、常に新しく創り変えなければならないからです。
生命とは分解と合成を繰り返し、あやういバランスを保つ動的平衡のことであると、福岡伸一氏を述べているのです。
「説心説性」の巻には続けて、「佛道は、初發心のときも佛道なり、成正覺のときも佛道なり、初・中・後ともに佛道なり。」とあります。生命活動とは分解と合成を止めないことだとお話しましたが、佛道も絶えず行じ続けなければなりません。従って、佛道も動的平衡であると言えるのではないでしょうか。

以上が「逆境をプラスに変える」のご法話でした。ご法話の後に、小畑代表から添菜されたお供物をいただきました。小畑代表に感謝・感謝です。

令和5年5月報告

印刷 印刷

今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(4)

IMG 3333JPG 1また霊雲志勤禅師は、三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃華のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、
三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。
自從一見桃華後、直至如今更不疑。
《三十年来剣客を尋ぬ、幾回か葉落ち又枝を抽んづる。
一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず》
大潙いはく、従縁入者、永不退失。《縁より入る者は、永く退失せじ》
すなはち許可するなり。いづれの入者か従縁せざらん、いづれの入者か退失あらん。ひとり勤をいふにあらず。つひに大潙に嗣法す。山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん。
長沙岑禅師にある僧とふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。
師いはく、いかにしてか自己を転じて山河大地に帰せしめん。
いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罣(けい)礙(げ)すべきにあらず。

瑯瑘の広照大師慧覚和尚は、南岳の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、清浄本然、云何忽生山河大地。かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、清浄本然、云何忽生山河大地。
ここにしりぬ、清浄本然なる山河大地を、山河大地とあやまるべきにあらず。

令和5年3月報告

印刷 印刷

今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(2)

この居士の悟道せし夜は、そのさきの日、總禅師と無情説法話を参問せしなり。禅師の言下に飜身の儀いまだしといへども、谿聲のきこゆるところは、逆水の波浪たかく天をうつものなり。しかあればいま谿聲の居士をおどろかす、谿聲なりとやせん、照覺の流瀉なりとやせん。うたがふらくは照覺の無情説法の語ひびきいまだやまず、ひそかに谿流のよるの聲にみだれいる。たれかこれ一升なりと辨肯せん、一海なりと朝宗せん。畢竟じていはば、居士の悟道するか、山水の悟道するか。たれの明眼あらんか、長舌相清浄身を急著眼せざらん。
また香厳智閑禅師かつて大潙大圓禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。

今月の所感

筆者は今月の定例参禅会を所要の為、お休みしました。従って今月の所感は休止させていただきます。来月のご提唱をお聞きして、補完的に所感を述べることがあるかもしれません。

令和5年4月報告

印刷 印刷

今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(3)

IMG 3313JPG 1また香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ行粥飯僧とならん、といひて、行粥飯して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。このくにの陪饌役送のごときなり。
かくのごとくして大潙にまうす、智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辞せず。おそらくはのちになんぢわれをうらみん。
かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて武当山にいりて、国師の庵のあとにくさをむすびて為庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併浄するちなみに、かはらほどばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、豁然として大悟す。沐浴し、潔斎して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、
一撃亡所知、更不自修治。動容揚古路、不堕悄然機。処処無蹤跡、声色外威儀。諸方達道者、咸言上上機。
《一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路に揚がり、悄然の機に堕せず。処々蹤跡無し、声色外の威儀なり。諸方達道の者、咸く上々の機と言ふ》

令和5年2月報告

印刷 印刷

今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(1)

IMG 1947JPG 2阿耨菩提に伝道受業の仏祖おほし、粉骨の先蹤即不無なり。断臂の祖宗まなぶべし、掩泥の毫髪もたがふることなかれ。各各の脱殻をうるに、従来の知見解会に拘牽せられず、曠劫未明の事たちまちに現前す。恁麼時の而今は吾も不知なり、誰も不識なり、汝も不期なり、仏眼も覰不見なり。人慮あに測度せんや。
大宋国に東坡居士蘇軾とてありしは、字は子瞻といふ。筆海の真龍なりぬべし、仏海の龍象を学す。重淵にも游泳す、層雲にも昇降す。あるとき盧山にいたれりしちなみに、渓水の夜流する声をきくに悟道す。偈をつくりて常總禅師に呈するにいはく、
谿声便是広長舌、   《谿声便ち是れ広長舌、
山色無非清浄身、   山色清浄身に非ざること無し。
夜来八万四千偈、   夜来八万四千偈、
他日如何挙似人。   他日如何が人に挙似せん》
この偈を總禅師に呈するに、總禅師然之す。總は照覚常總禅師なり、總は黄龍慧南禅師の法嗣なり、南は慈明楚円禅師の法嗣なり。
居士あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印さづくるに、法衣仏戒等をもてす。居士つねに法衣を搭して修道しき。居士仏印にたてまつるに無価の玉帯をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。
しかあれば、聞谿悟道の因縁さらにこれ晩流の潤益なからんや。あはれむべしいくめぐりか現身説法の化儀にもれたるがごとくなる。なにとしてかさらに山色をみ、谿声をきく。一句なり

3 / 8