
ここ数日来、関東南部の朝の冷え込みが、「今季で一番」という報道をよく耳にします。当山龍泉院も御多分に漏れず、三日ほど前から、境内一面にびっしりと霜が降り、手水鉢の水も氷るなどして、ここ最近では最も寒い朝を迎えることとなりました。
そのような日となった12月7日の午前中、当山では毎年恒例の『成道会』を執り行いました。
まずは雲堂にて坐禅を行い、その後場所を本堂に移し、報恩のお経を方丈並びに参禅会会員と行い、最後に方丈による法話という流れで行われました。

法話では『人々皆食分あり、命分あり』という、正法眼蔵随聞記にある言葉をテーマに、15分ほどの話しをされました。法話の中で方丈は、道元禅師の言葉「佛道を学ぶ人は、衣服や食べ物をむやみに貪ってはならない。人間は、その生まれてから死ぬまでの間の食分(食べられる量)が決まっている。寿命もそうである。よって分を超えた食や寿命を望んでも得られるものではないのだ」について説明するとともに、似たような内容の教えを説かれた水野南北(江戸期の著名な観相家)の言葉も引き合いに出して、『食分』を意識する日常の生活スタイルが如何に重要かを話されました。
そしてまた「良く食べることは良く生きること」につながるとし、料理研究家の土井善晴さんの著作から、「良く食べる」とは、沢山食べることではなく、食べるための行為全てに手を抜かないことだと話されました。食べるための行為、いわゆる『買い物⇒下拵え⇒調理⇒料理が出来上がる⇒食べる⇒片付ける』これら全てが食事であり、これに手を抜かないことが毎日の「行持道環(日々の修行が途切れることなく連続して行われること)」につながるのだと話されました。
最後に、典座教訓にある言葉、「たとえ粗悪な食材で料理を作ることがあろうとも、決して手を抜くような心を起こしてはならない。また、上等な食材を用いて料理を作ることがある場合でも、ますます精進して真剣に取り組まなければならない。いかなることがあろうとも、食材の良し悪しによって、自分の心を変えてはならない。それは人によって言葉遣いを変えるのと同じなのだから」を引用し、『命に向き合うとは食事に向き合うこと』『食事に向き合うとは食材に向き合うこと』そして『食材への向き合い方はやがて人との向き合い方にあらわれる』とし、法話の結びとされました。

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