平成二七年六月一夜接心報告 プリント
img_6619-1.jpg今年も6月6日(土)、7日(日)にかけて七炷の一夜接心が行われました。昨年とは異なり天候に恵まれましたが、例年になく参加者が少なく、また女性の参加者が一人もいないため、少し寂しい一夜接心となりました。
午後2時に受け付け開始、2時20分から小畑代表幹事さんによるオリエンテーションがあり、2時50分に坐禅堂の殿鐘が三会打ち鳴らされ、ご老師から大きな声で「これより一夜接心開始」との辞が発せられて、第一炷目の坐禅が開始されました。
40分間の坐禅の後に禅講に移りました。昨年までの一夜接心では瑩山禅師の『坐禅用心記』がご提唱されていましたが、今年からは道元禅師撰述の『普勧坐禅儀』が始まりました。『普勧坐禅儀』が龍泉院参禅会でご提唱されるのは今回で三回目です。龍泉院参禅会が初めて開催された昭和46年7月25日に第一回目の『普勧坐禅儀』のご提唱があり、第2回目は平成22年の一夜接心の時でした。
img_6637-1.jpg『普勧坐禅儀』が先述された由来については、道元禅師撰述の『普勧坐禅撰述由来』に記されています。『普勧坐禅撰述由来』に基づきご老師から詳しい説明がありましたが、平成22年の一夜接心の時にも『普勧坐禅撰述由来』についてのご提唱をいただいていますので、「平成22年一夜接心報告」(http://www.ryusenin.org/content/view/109/41/)をご覧ください。

さて物事の論理を進めていく場合、よく三段論法という手段が用いられます。まず序論が提示され、次いで本論が述べられ、最後に結論が導き出されます。お経の場合もこの三段論法に沿って構成されている場合が多くあります。序論にあたる部分が「序文」であり、本論にあたる部分が「正宗文」と呼ばれ、結論にあたる部分を「流通文」と呼ばれています。
『普勧坐禅儀』も序文、正宗文、流通文に分けることができるとご老師が仰れました。「原ぬるに夫れ、……(中略)……急に恁麼の事を務めよ。」の箇所が序文に相当する部分です。今回の一夜接心では序文の内、「原ぬるに夫れ、道本圓通、爭か修證を假らん、宗乘自在、何ぞ功夫を費さん。况んや、全體遙かに塵埃を出ず、孰か拂拭の手段を信ぜん。大都、當處を離れず、豈修行の脚頭を用うる者ならんや。然れども、毫釐も差あれば、天地懸に隔たり、違順纔かに起れば、紛然として心を失す。」についてご提唱をいただきました。
img_6647-1.jpg最初に、「道本圓通、爭か修證を假らん」。ついで、「宗乘自在、何ぞ功夫を費さん」。そして「况んや、全體遙かに塵埃を出ず、孰か拂拭の手段を信ぜん」と続きます。即ち、佛道は全ての人々に無限に開かれており、坐禅辨道や悟りなど全く必要としない。佛法という乗り物は自由自在だから何の工夫も必要としない。まして塵や埃による煩惱とは関係ない本来清浄な世界にいるのだから、塵や埃を払う必要もないと述べられています。
これを読むと一見全く仏道修行など必要としないように思いがちですが、そこは大きな勘違いがあるのです。道元禅師はこの後ピシャリと「毫釐も差あれば、天地懸に隔たり、違順纔かに起れば、紛然として心を失す」と述べられています。即ち、僅かでも仏道に対する勘違いが起ると、とんでもないことに発展してしまい、たちまち自己の正体を見失ってしまうというのです。どのような勘違いがそのような結果をもたらすのかは、次回のご提唱を待ちたいと思います。

img_6650-1.jpg今年の一夜接心には、典座チーフの松井さんが所用でお休みとなった為に、典座役の小山さんは台所で獅子奮迅の働きをなさっていました。その姿を見かねた小畑代表幹事さんが自らお手伝いを申し出られ、お蔭で今年も美味しいお食事をいただくことができました。
しかし茶話会の席でご老師から、「ご高齢の小畑さんに、典座さんのお手伝いをさせておくようでは考えものである」とのご叱責があり、今後の行持運営にあたっては、考えなければならないことであると痛感させられました。
更に今回の一夜接心の問題点としては、所用や体調がすぐれずお休みにされた方が多かったことや、二日間通して参加することが無理な方も多く見受けられたことがあげられます。これらは会員の高齢化より派生した面も否めない所です。今後の参禅会の運営を考えると、若手の会員の入会促進が重要な課題になると思われます。

最終更新日 ( 2015/06/09 火曜日 14:48:44 JST )
 
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