令和4年6月5日(日)に一日接心が3年ぶりに行われました。昭和61年から始まった一夜接心は、令和元年6月に宿泊を伴わない一日接心へと形態を変えることになりました。
第一回目の一日接心以降、新型コロナ禍で令和2・3年は中止となりましたが、ワクチン接種などで感染者が重症化しにくくなり、感染対策を適切に行えば、各種イベントが再開されるようになったことから、今年は6月に第2回目の一日接心を行うことになりました。

午前7時半から受付が始まり、8時に松井年番幹事からオリエンテーションが行われました。8時20分に坐禅堂内の鐘が一聲打たれ、椎名老師の「これより一日接心開始」とのご発声で第一炷目の坐禅が始まりました。
二炷目の坐禅は9時10分から始まり、途中で『普勧坐禅儀』の前半を全員で誦しました。坐禅の後、『傘松道詠集』についての禅講が行われました。因みに題名の傘松とは道元禅師が寛元二年(1244)に京都深草から越前志比の庄に入られ、波多野義重公の寄進を受けて建てられた大佛寺(永平寺の旧称)の山号です。


『傘松道詠集』一巻は道元禅師が詠まれた和歌を、江戸時代に面山瑞方が延享四年(1747)に編集発刊したもので、60首が集録されています。しかし、この『傘松道詠集』には色々問題があり、道元禅師以外の和歌が含まれているとか、この60首以外にも道元禅師の和歌があるなどの批判が、昔からなされているそうです。例えば『傘松道詠集』を研究した本に『道元禅師傘松道詠の研究』(大場南北 仏教書林中山書房発行)がありますが、その本の中では数多くの疑問点が述べられているそうです。因みに大場南北さんは千葉県君津市のお寺のご住職さんだった方です。
今年の禅講でご説明の在った和歌は次の16首でした。

 

 寛元三年九月二十五日初雪の一尺はかり降ける時
長月の紅葉のうへに雪ふりぬ見る人誰か言の葉のなき
 寳治元年相州鎌倉にいまして最明寺道崇禪門の請によりて題詠十首
 教外別傳
あら磯の波もえよせぬ高巖に蠣もつくへきのりならはこそ
 不立文字
いひ捨てしその言の葉の外なれは筆にも跡をとゝめさりけり
 正法眼藏
波もひき風もつなかぬ捨をふね月こそ夜半のさかりなりけれ
 涅槃妙心
いつもたゝ我ふる里の花なれは色もかはらす過し春かな
 本來面目
春は花夏ほとゝきす秋は月冬雪さえて冷しかりけり
 即心即佛
おし鳥やかもめともまたみえわかぬ立る波間にうき沈むかな
 應無所住而生其心
水鳥のゆくもかへるも跡たえてされとも道はわすれさりけり
 父母所生身即證大覺位
尋ね入深山の奥のさとそもと我住馴し都なりける
 盡十方界眞實人體
世中にまことのひとやなかるらんかきりも見えぬ大空の色
 靈雲見桃花
春風にほころひにけり桃の花枝葉にのこるうたかひもなし
 鏡清雨滴聲
聞まゝにまた心なき身にしあらはをのれなりけり軒の玉水
聲つから耳にきこゆる時しれは我か友ならんかたらひそなき
 牛過窓欞
世中はまとより出る牛の尾の引ぬにとまる心はかりそ
 夢中説夢
本末もみな偽のつくも髪おもひ亂るゝ夢を社とけ
 十二時中不空過 三首
過來つる四十あまりは大空のうさきからすの道にそありける

 

最初の一首は寛元三年(1245)9月25日に詠まれた句です。現在の10月末ごろ越前志比の庄に初雪が降ったことを詠った和歌です。
次の教外別伝から靈雲見桃花と題の付いた和歌10首は、道元禅師が鎌倉に来られた折、第五代執権北条時頼の要請で詠われた和歌です。
本來面目という題の付いた和歌は余りにも有名です。川端康成がノーベル賞を受賞した時の講演「美しい日本の私」の冒頭にも引用されています。
應無所住而生其心という題は『金剛般若経』にある有名な句であり、六祖慧能がこの句を聞いて悟ったと言われています。
父母所生身即證大覺位と題された和歌は、『法華経』「信解品」第4に説かれた長者窮児の譬えを詠ったものだと言われています。
靈雲見桃花と題された和歌は、潙山靈祐の法嗣の靈雲志勤が一見桃華によって悟道したことを詠ったものです。これを禅宗史では靈雲桃華と言います。因みに、潙山靈祐の法嗣の香嚴智閑は掃除の時に瓦礫が竹にぶつかった音を聞いて契悟したので、これを香嚴撃竹と言います。香嚴撃竹・靈雲桃華は『正法眼藏』「溪聲山色」の巻で取り上げられています。
鏡清雨滴聲た題された和歌は『碧巌録』第46則「鏡清雨滴聲」を詠った和歌です。
牛過窓欞は『無門関』第38則「牛過窓欞」を詠った和歌で、唯識の習気について扱ったものです。

 

禅講の後、集合写真を撮り中食となりました。今回はコロナ禍のため、典座さんからの心づくしの食事は残念ながらご遠慮いただき、仕出し屋からのお弁当としました。「五観偈」を全員でお唱えしてからお弁当をいただきました。
午後1時から三炷目の坐禅となり、その後、禅講で『傘松道詠集』のご提唱を受け、今回最後の坐禅となりました。途中『普勧坐禅儀』の後半を諷誦し、ご老師の「これにて一日接心円成」の声が響いて、坐禅は終了しました。


茶話会に移り、参加者からは久しぶりの一日接心だったので、4炷目の時は足が痛かったとの感想が多く聞かれました。
小畑代表からは、「僧堂での行茶がなかったのは寂しかった、来年は行茶をお願いしたい」との要請がありました。
ご老師からは、「足が痛くなっても懸命にお坐りになられご苦労様でした。私もこれまでは結跏趺坐でしたが、今は半跏趺坐となり、大病をしたせいか最後は辛かったです。でも皆さんとご一緒だったので成就することができました。」とのお言葉がありました。
また、「坐る型にこだわることはない。心の平安のために坐禅をするのだから、半跏趺坐でもイス坐禅でも結構です」とのお言葉がありました。最近は半跏趺坐しかできない者として、大変勇気づけられるお言葉でした。
今年の一日接心の差定では、一炷目と二炷目の間に移動と休憩の時間が20分間ありましたが、この時間は無駄ではないかとのお声もありましたので、来年の差定では見直したいと思います。一日接心の差定等についてご要望やご意見のある方は、年番幹事までお知らせくださるようお願い申し上げます。