今月の提唱

『正法眼藏』「光明」の巻(7)
いま道取する自代は、雲門に自代するなり、大衆に自代するなり、光明に自代するなり。僧堂佛殿廚庫三門に自代するなり。しかあれとも雲門なにをよんてか僧堂佛殿廚庫三門とする。大衆およひ人人をよんて、僧堂佛殿廚庫三門とすへからす。いくはくの僧堂佛殿廚庫三門かある。雲門なりとやせん、七佛なりとやせん。四七なりとやせん、二三なりとやせん。拳頭なりとやせん、鼻孔なりとやせん。いはくの僧堂佛殿廚庫三門、たとひいつれの佛祖なりとも、人人をまぬかれさるものなり。このゆゑに人人にあらす。しかありしよりこのかた、有佛殿の無佛なるあり、無佛殿の無佛なるあり。有光佛あり、無光佛あり。無佛光あり、有佛光あり。

雪峰山眞覺大師、示衆、云、僧堂前與諸人相見了也。これすなはち雪峰の通身是眼睛なり、雪峰の雪峰を覰見する時節なり。僧堂の僧堂と相見するなり。保福擧問鵝湖、僧堂前且置、什麼処望州亭、烏石嶺相見。
鵝湖驟歩帰方丈。
保福便入僧堂。
いま帰方丈入僧堂、これ話頭出身なり。相見底の道理なり、相見了也僧堂なり。
地蔵院眞應大師云、典座入庫堂。
この話頭は、七佛已前事なり。
正法眼蔵 光明
仁治三年壬寅夏六月二日夜三更四點、示衆于觀音導利興聖寶林寺。于時梅雨霖霖、簷頭滴滴。作麼生是光明在。大衆未免雲門道覰破。

 

今月の所感
今月は「光明」の巻について最後のご提唱となりました。「光明」の巻の最後に登場するのは雪峰義存禅師(822~908)です。雪峰さんは泉州(福建省)南安出身の人で、12歳で沙弥となり、17歳で祝髪し。法諱を義存とする。24歳の時に会昌の破仏に遭い俗服となる。後に洞山良价禅師の会下で飯頭の任を務めたが、機縁契わず徳山宣鑑に参じた。徳山の法を嗣いで、福州(福建省)の象骨峰に入り、874年に住持をしている寺に応天雪峰寺の号を賜う。派下に玄沙師備、長慶慧稜、鼓山神晏、雲門文偃、保福従展など、多くの禅者を打ち出し、江南の地を中心に独特の宗風を鼓吹せしめた。当時は趙州(河北省)観音院に趙州從諗が住しており、独自の禅風を宣揚しており、北の趙州・南の雪峰と並び立てられていた。ご老師も二度ほど雪峯山に訪れたことがあり、その際撮られた写真を回覧しました。
雪峯がかつて大衆に示して言ったことがある、「僧堂の前で諸々の人と相見えた」と。この言葉は、雪峯が悟りきった時の言葉であり、雪峯が雪峯を伺い見えているのであり、僧堂が僧堂と相見えているのであると道元禅師は拈提されています。
この言葉を巡って保福従展が、雪峯のもう一人の弟子である鵝湖智孚に、「僧堂の前で相見えたことはともかくとして、望州亭や烏石嶺で相見えたというのは、どこでどうしたのだろう」と尋ねた。望州亭とは小さな建物であり、烏石嶺は黒い石の岩山のことであると、ご老師は言われましたが、この二つは先の雪峯の言葉の中で、僧堂の前で相見えるまえに、望州亭や烏石嶺での相見えたことが語られているのです。
保福と鵝湖の二人は、そんな世間話的な事には関係ないことだとして、鵝湖はさっさと歩いて方丈に帰り、保福もサッと立ち上がって僧堂に入ってしまったのである。このように方丈に帰り、僧堂に入ることが、僧堂の前で相見えることの真意であり、相見えることが終わったら、後は僧堂で坐るのである。
そこで地蔵院眞應大師が「典座が庫裏に入る」と言ったが、この言葉は七仏以前の事と知るがよいと、道元禅師は示されています。「典座の係が炊事場に入る」とは、当たり前のことが当たり前にできていることであり、七仏以前の事とは久遠の昔からの真理であるということです。
しかし、当たり前のことが当たり前にできなくなって、初めて当たり前にできていたことが、なんと素晴らしいことであるか、この度、病を患うことによって、あらためて思い知らされましたと、ご老師は述懐されていました。
「光明」の巻の奥書には、仁治三年六月二日夜三更四點、即ち1242年の旧暦6月2日の真夜中、觀音導利興聖寶林寺において説かれたことが記されている。時に梅雨がしとしとと降り、軒先は雫がポトポトと落ちている。いったい光明はどこにあるのだろうか。修行者は雲門の言葉に見破られたことを免れまいと示されています。
「光明」の巻の奥書にいったい光明はどこにあるのだろうかと記されているのは面白いですね。
ところで、先月の「光明」の巻に、雲門が「人々に光明があるということはどういうことか」と、僧達にといかけたところ、誰も答えるものがなく、雲門が自ら代わって、「僧堂・仏殿・庫裏・三門」と言ったことが述べられていました。
今月のご提唱部分では道元禅師が雲門の「僧堂・仏殿・庫裏・三門」と言ったことについての拈提が記されています。しかしご老師はうっかりこの箇所をスルーされてしまわれました。ご老師がスルーされた部分について小生が拙い解説をしてみたいと思います。
道元禅師は、雲門は一体何を呼んで「僧堂・仏殿・庫裏・三門」と言ったのだろうかと、問を発します。それは雲門自身なのか、釈尊までの七仏なのか、釈尊以来の28人の祖師方なのか、はたまた達磨からの6人の祖師方のことであろうか。あるいはどの仏の拳であり、どれが仏の鼻孔なおだろうか。「僧堂・仏殿・庫裏・三門」、これらいずれがいずれの仏のことを言い表すとしても、いずれもそれぞれ人々のことであり、その人々はみな光明そのものなのであると、道元禅師は結論付けられています。
「人々に光明があるということはどういうことか」との問いに対して、「僧堂・仏殿・庫裏・三門」と答えた雲門の真意とは、それぞれのところで修行する人々が、当たり前に修行していることで、光輝いているのだと言っているのではないかと、小生は思うのですが、皆様は如何でしょうか・・・・・

 

杉浦年番幹事からのお知らせ
・東京都豊島区にある全勝昌院の安達良元老師から、龍泉院参禅会発足50周年を祝して、お祝い金とお菓子を頂きました。
・参禅会がコロナ禍でお休みしていたため志納金が入らず、会計がひっ迫していましたが、某会員様より多額のご喜捨を頂きました。また大坂昌子様からも添菜を頂きました。
・12月5日(日)に行われる成道会の参加申込者は現在17名です。成道会では椎名老師との問答があります。どのような事でも自由に質問してください。
・12月12日(日)に行われる歳末助け合い托鉢の参加者は8名です。参加者は12時半までに長全寺に集合してください。13時より柏駅東口で托鉢を行います。
・12月26日(日)の定例参禅会の後に大掃除を行います。大掃除は一時間ほどです。大掃除の後の食事会は中止とします。
・来年の年番幹事を募集しています。これからお願いにあがる場合もありますが、この際はよろしくお願いいたします。

 

五十嵐よりのお知らせ
・現在龍泉院参禅会のHPはセキュリティの問題が発生し中止しています。現在新しいHPを構築中です、なるべく早く完成するよう、依頼先のバーテックスさんにお願いしています。
・歳末助け合い托鉢で集った浄財は朝日新聞厚生文化事業団に寄付していますが、糖事業団では「古本募金」も行っています。成道会と12月の定例参禅会の時に古本回収箱を玄関に置きますので、ご協力をお願いいたします。

 

椎名東堂老師からのお知らせ
・このところ毎日光明がさんさんと降り注いでいます。大きな行事が続きますが、一人でも多くの方が参加することが眼目です。奮ってご参加してください。

 

今月の司会者 杉浦上太郎
今月の参加者 22名
来月の司会者 未定