平成三〇年四月降誕会報告

img_0673.jpg-1.jpg4月8日(日)午後2時からお釈迦様のご誕生を祝う降誕会(花まつり)が行われました。参禅会員は午後1時に集合し、本堂での法要の準備や大悲殿での茶話会の準備などにあたりました。
法要は梅花講による釈尊誕生を祝う御詠歌の奉詠から始まり、小畑代表が先導となり、導師・侍者・侍香が列をなして入堂しました。導師であるご老師から釈尊誕生を祝う拈香法語が読み上げられ、普同三拝につづいて『般若心経』一巻が諷誦されました。
法要の後、ご老師から釈尊誕生に因んで次のようなご法話がありました。
日本が仏教国であるからには、お釈迦様の誕生日である4月8日は休日にしてもよいのではないかと思います。総理大臣などにはなりっこないですが、私が総理大臣だったら休日にします。日本は太古の昔から仏教国で、政治やあらゆる制度や文化は仏教から出たものであり、切り離せないものとなっています。明治以前は天皇家は仏教徒でしたが、ほとんどのひとはその事実を忘れているか知りません。京都の泉涌寺には身の丈ぐらいの位牌がたくさん揃っています。これは歴代天皇の御位牌であり、天皇家が仏教徒であった証拠です。すべての仏教行事はまず天皇家から始まり、それがだんだん一般庶民まで広がっていったのが日本です。
img_0679.jpg-1.jpgお釈迦様がこの世に生まれなければ仏教はない。日本はこのように仏教国でありますから、その意味で4月8日を第一番に休日にして、お祝いをする必要があるというのが私の持論です。
確かにスリンランカやタイやミャンマーなどでは国が降誕会の行事を行っています。日本では大きなお寺で花まつりを行っている所もありますが、関東地方、特に信心の薄い千葉県ではほとんど花まつりは行われていません。
マーヤ夫人は、お産のため実家に向かう途中のルンビニという原っぱで、お釈迦様を出産されました。早産だったのです。でもマーヤ夫人は産後の肥立ちが悪く、出産されて7日目に亡くなられました。
早産と言うと、1月19日には常磐線の快速電車の車内で、急に産気づき出産された方がいました。松戸駅を出た時から苦しみだし、柏駅の手前で苦しくて床に寝転んで破水してしまいました。たまたま傍にいた中年の女性が柏駅に到着すると、車両のドアを足で押さえ、駅員に「発車しちゃ駄目」と叫んで、電車を非常停止させました。その後、自分の荷物からバスタオルを取り出し、妊婦さんの下に敷いて、他の乗客とも連携して赤ちゃんを両手で取り上げると、「おぎゃー」と産声が上がりました。めでたし、めでたしです。
img_0683.jpg-1.jpgしかし昔は死産や生まれて来てまもなく亡くなる赤ちゃんが多かったのです。昭和の初め頃、この寺でも新盆を迎える方が30~40いましたが、その内で7・8割は赤ちゃんでした。赤ちゃんの死亡率がものすごく高かったうえに、疱瘡や天然痘が流行った時には、もう惨憺たるものでした。
北海道の木古内で文化財調査をしたことがありますが、檀家数150ぐらいのあるお寺の過去帳を見せてもらって唖然としました。明治の末頃、新盆者数が100近くあったのです。そのほとんどが天然痘・疱瘡によるものです。天然痘の大流行で、毎日毎日死亡する子供が出て、この村には子供がいなくなりそうになったと現地の人から聞き、身の毛のよだつ思いをしたことがあります。五体満足に生まれついて一人前になれた人は、どんなに幸せであろうかということです。それをしみじみと感じた次第です。
マーヤ夫人がお釈迦様を出産して間もなく亡くなられたので、お釈迦様はマーヤ夫人の妹のマハー・プラジャパティーに育てられました。お釈迦様は叔母さんに育てられているとは知らず、知ったのはずっと後のことです。お釈迦様が出家された動機は〝生老病死〟だとよく言われていますが、動機はそれだけではない。生みの親だと思っていた母親が実は母親ではなかった、叔母さんだったと知ったことが、大きな要因ではないかと思われてならないのです。叔母さんは後にお釈迦様のお弟子となり尼さんとなり、お釈迦様から教えを受けました。お釈迦様も育ての母である尼さんを遇し、大事にされたと伝えられています。
先日、土俵の上で心肺停止となった市長さんを助けようと心臓マッサージをしていた女性を、「土俵から降りなさい」と行事がアナウンスしたことがりましたが、相撲協会の現実離れした対応は信じられません。女性は不淨だから土俵に上がってはいけないと相撲協会は考えているからです。
img_0689.jpg-1.jpg道元禅師は『正法眼蔵』「礼拝得髓」の巻で「日本国にひとつのはらひごとあり。いわゆるあるひは結界の境地と称し、あるひは大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を来入せしめず」と述べています。即ち、世の中に笑うべきことが一つある、それは女性は不浄だから入れないと結界を作り、女人禁制をやっているところがあると、道元禅師は厳しく批判されたのです。
鎌倉時代にこのようなことを言った人はいません。なぜ道元禅師は言われたのか、それは鎌倉時代から男尊女卑が始まったからです。平安時代までは女性の方が強かったのですが、鎌倉時代になると武士の方が偉いという考え方になって、男尊女卑が始まったのです。それに対して道元禅師は批判的な態度で「礼拝得髓」の巻を書かれたのだろうと思います。
日本はまだまだ女性を立たせないような仕組みになっています。女性議員の比率は先進国どころか、世界中で一番低いようです。それは女性が立とうとしても立てない社会の仕組みになっているからです。女性の方にも女性は低くていいんだという考え方があり、これは改める必要があります。
img_0672.jpg-1.jpgお釈迦様誕生に因みまして、女性の立場をお互いに考え直し、自分のできる範囲で、女性が活躍できるような社会の仕組みに変えて行くよう、力を尽くしていくことがあれば、仏教行事も意味あるものになると思います。

降誕会の後、筍堀を行いました。今年は桜が異常に早く咲きましたが、筍も同じように例年より早く地上に顔を出していました。20分ほどの筍堀で50本も収穫がありました。掘りあげた筍を大中小の3つに分け、各自それぞれ2本づつ計6本を袋に詰めて自宅に持ち帰りました。これもお釈迦さまからのご利益として、夕餉のご馳走でいただきました。

最終更新日 ( 2018/04/30 月曜日 10:19:37 JST )