令和二年八月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼藏』「光明」の巻(1)

img_2862-1.jpg大宋国湖南長沙招賢大師、上堂。示衆、云、盡十方界、是沙門眼。盡十方界、是沙門家常語。盡十方界、是沙門全身。盡十方界、是自己光明。盡十方界、在自己光明裡。盡十方界、無一人不是自己。
佛道の参学、かならず勤学すべし、転疎転遠なるべからず。これによりて光明を学得せる作家まれなるものなり。
震旦国、後漢の孝明皇帝、帝諱は荘なり、廟号は顕宗皇帝とまうす。光武皇帝の第四の御子なり。孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰の年、摩騰迦・竺法蘭、はじめて佛教を漢国に伝来す。焚経台のまへに道士の邪徒を降伏し、諸佛の神力をあらはす。それよりのち梁武帝の御宇、普通年中にいたりて、初祖みづから西天より南海の広州に幸す。これ正法眼蔵正伝の嫡嗣なり。釈迦牟尼佛より二十八世の法孫なり。ちなみに嵩山少室峰少林寺に掛錫しまします。法を二祖大祖禅師に正伝せりし、これ佛祖光明の親曾なり。


今月の所感

img_2863-1.jpg先月で「空華」の巻のご提唱は終わり、今月から「光明」の巻のご提唱が始まりました。「光明」の巻は、奥書によれば仁治3年(1242)6月2日の夜半に、興聖寺で大衆に示されました。梅雨時で雨がしとしとと降っていたそうです。
光明とは光のことです。佛・菩薩から発せられる光は衆生の心の闇を照らしてくれます。ご老師は、佛の光明には常光と神通光の区別があると言われました。常光とは佛が常に放っている光明のことで、頭頂の後で輝いている光です。神通光とは佛の神通力によって放った大光明のことです。光について詳しく説かれたお経に無羅叉訳の『放光般若経』があるそうです。このお経は梁の武帝が講義したことで知られていますが、「光明」の巻にも後ほど出てきます。
道元禅師は「光明」の巻で、光で照らすものと照らされるものという相対的な考えを廃して、互いに照らし照らされるという考えを示されていると、「光明」の巻の解題にあたってご老師は述べられました。さらに、このような考え方は「古鏡」・「一顆明珠」にも共通して見受けられるとご老師は述べられました。
「光明」の巻は南泉普願の法嗣である長沙景岑の上堂の言葉から始まります。
「盡十方界、是れ沙門の眼。盡十方界、是れ沙門の家常語。盡十方界、是れ沙門の全身。盡十方界、是れ自己の光明。盡十方界、自己の光明裡に在り。盡十方界、一人として是れ自己にあらざる無し。」
この言葉は『景徳傳燈録』巻10の長沙景岑の章などに見えます。「一切の世界は自己の光明であり、一切の世界は自己の光明のうちにある」ということです。道元禅師は長沙景岑の考えを必ず学んで、これを疎かにすることがあってはならないと、ズバッと断言されています。
一切の世界は自己の光明について、どのように学んで行くのかは、この後の提唱でお示しがあると思います。
次に中国の後漢の孝明皇帝の永平10年(67)に、佛教が迦葉摩騰と笠法蘭の二人の僧によって中国に伝来したことが述べられています。因みに福井の永平寺の名称は、中国に佛教が初めて伝来した永平10年に由来したものです。
それから500年経た梁の武帝の普通年間(520~526)に、初祖達磨大師がインドから船で広州に渡来され、そして嵩山少林寺で二祖慧可大師に法が伝えられました。このことにより、私どもは初めて佛祖の光明に親しく接することができるようになったと述べられています。佛の光明がこれ以降次々と伝わって行くことになり、私は有難くも椎名老師の下で在家得度を受けることができ、85代の血脈をいただくことができました。


小畑代表幹事からのお知らせ

・施食会の時、美川恒子様のご遺族の方からお菓子をいただきました。皆様で召し上がってください。
img_1320-2.jpg・37年間参禅会員であった徳山浩様が7月26日にお亡くなりになられました。詳しくは『明珠』74号に追悼文を寄稿しましたのでお読みください。

ご老師からのお知らせ

・8月16日の施食会には10名の方がお手伝いしてくださり、無事終了することができました。感謝申し上げます。
・8月25日(火)~28日(金)の午前5時半から午前7時まで、柏市倫理法人会の早朝坐禅会があります。早い時間ですが、どなたでも参加できますので、ご希望の方はお越し下さい。

今月の司会者 五十嵐嗣郎
今月の参加者 20名
来月の司会者 市川 信彦


最終更新日 ( 2020/08/27 木曜日 09:41:04 JST )
 
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