令和二年七月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼藏』「空華」の巻(10)

img_2827-1.jpg空華在眼、一瞖乱墜、一眼在空衆、瞖乱墜なるへし。ここをもて瞖也全機現、眼也全機現、空也全機現、華也全機現なり。乱墜は千眼なり、通身眼なり。おほよそ一眼の在時在処かならす空華あり、眼華あるなり。眼華を空華とはいふ、眼華の道取かならす開明なり。このゆゑに、
瑯瑘山広照大師云、奇哉十方佛、元是眼中華。欲識眼中華、元是十方佛。欲識十方佛、不是眼中華。欲識眼中華、不是十方佛。於此明得、過在十方佛。若未明得、聲聞作舞、獨覺臨粧。
しるへし十方佛の實ならさるにあらす、もとこれ眼中の華なり。十方諸佛の住位せるところは眼中なり。眼中にあらされは諸佛の住処にあらす。眼中華は無にあらす有にあらす、空にあらす實にあらす、おのつからこれ十方佛なり。いまひとへに十方諸佛と欲識すれは、眼中華にあらす、ひとへに眼中華と欲識すれは、十方諸佛にあらさるかことし。かくのことくなるゆゑに明得未明得、ともに眼中華なり、十方佛なり。欲識およひ不是、すなはち現成の奇哉なり、太奇なり。
佛佛祖祖の道取する、空華地華の宗旨、それ恁麼の逞風流なり。空華の名字は、経師論師もなほ聞及すとも、地華の命脈は、佛祖にあらされは見聞の因縁あらさるなり。地華の命脈を知及せる佛祖の道取あり。
大宋国石門山の慧徹禅師は、梁山下の尊宿なり。ちなみに僧ありてとふ、如何是山中寶。
この問取の宗旨は、たとへは如何是佛と問取するにおなし、如何是道と問取するかことくなり。
師云、空華従地発、盍国買無門。
この道取ひとへに自餘の道取に準的すへからす。よのつねの諸方は、空華の空華を論するには、於空に生してさらに於空に滅するとのみ道取す。従空しれるなほいまたあらす。いはんや従地としらんや。たたひとり石門のみしれり。従地といふは、初中後つひに従地なり。発は開なり。この正當恁麼のとき、従盡大地発なり、從盡大地開なり。
盍国買無門は、盍国買はなきにあらす、買無門なり。従地発の空華あり、従華開の盡地あり。
しかあれはしるへし空華は地空ともに開発せしむる宗旨あり。
正法眼蔵空華
于時寛元元年癸卯三月十日在観音導利興聖寶林寺示

今月の所感

今月で「空華」の巻のご提唱も最後となりました。
先月は芙蓉霊訓禅師の「空華」に関するコメントと、それに対する道元禅師の拈提が示されていました。今月は芙蓉霊訓禅師に続いて瑯瑘山広照大師と石門山慧徹禅師のお二人のコメントとそれに対する道元禅師の拈提が示されています。
まず瑯瑘山広照大師が「空華」について、「まことに不思議なことではあるが、世界の諸仏たちは、元々眼中の華である。その眼中の華を知ろうとすれば、それは元々世界の諸仏である。世界の諸仏を知ろうとすれば、それは眼中の華ではなく、眼中の華を知ろうとすれば、それは世界の諸仏ではない。このことを明らかにすることができれば、すでに世界の仏の中にいる。もし未だこのことを明らかにすることができなければ、声聞はよろこんで舞い、独覚はにっこりと笑うであろう」とコメントしています。このコメントは『建中靖國續燈録』巻4の瑯瑘山開化広照禪師の章に見えます。
因みに瑯瑘山は安徽省東部の滁州の西南にある海抜317mの山です。広照大師とは宋代の瑯瑘慧覺で、父は衡陽(湖南省)の太守でしたが、疾によって任地で喪くなりました。父の棺を護って、故郷の西洛に帰る途中、湖南省の澧陽にある藥山に立ち寄った時、あたかも舊居の如くに思われて出家し、諸方を參師問法した後、汾陽善昭について得法しました。緣あって滁水(安徽省)の琅瑘山で禅風を挙揚し、雪竇明覺禅師と共に、当時の人達に二甘露門と並び称されました。『從容録』第百則に瑯瑘慧覺と僧との山河大地の問答を扱った「瑯瑘山河」があります。
img_2828-1.jpg広照大師のコメントを見ると、「AはBである。だからBを知ろうとすれば元はAであることがわかる。しかしAを知ろうとすれば、それはBではなく、さらにB知ろうとすれば、それはAではない」となります。この辺りが如何にも禅問答らしく、凡人には良く分からないところです。
この広照大師の「空華」に関するコメントに関して、道元禅師が拈提されているところは、私にとって更にに分からなくなってきます。ご老師はこの箇所について、「対立観念で物事を見ていると、本物は見えてこない。本物はあなた自身の働きの中にある」と解説されていました。さすがご老師ですね。
これまでは空なる華について論じてきましたが、次に地の華について石門山の慧徹禅師のコメントが紹介されています。「大宋国石門山の慧徹禅師は、梁山下の尊宿なり」とありますので、慧徹禅師は、洞山良价-雲居道膺-同安道丕-同安觀志-梁山緣觀と続く梁山緣觀の法嗣と注記されている本が多いのですが、この梁山は梁山緣觀の事ではありませんとご老師は仰っていました。私が『景徳傳燈録』で調べたところ、洞山良价-洞山師虔-石門獻蘊-石門慧徹と続く青原下七世の人であることがわかりました。
石門慧徹禅師にある僧が、「山中の宝とはどのようなものでしょうか」と尋ねました。すると慧徹禅師は、「空華は地から発る。だが国をあげて買わんとするも手立てはない」と答えました。この問答は『天聖広燈録』巻24の石門慧徹禅師の章に見えるものです。
慧徹禅師の言われた「空華は地から発る」は『法華経』巻5の「従地涌出品」をもとに発したものですが、空華が大地から発るという発想は、さすが慧徹は大禅師ですね。道元禅師も、諸方の老師たちは空華を論ずる場合、ただ空華は空において生じ、さらに空にあって滅すると語っているだけである。空華が「空より」おこると知るものさえいないのに、ましていわんや「地より」ひらくということを誰が知っているであろうか。ただ一人石門慧徹だけであると絶賛されています。
空華は大地のありとあらゆるところで開いているが、それが「国をあげて買わんとするも手立てはない」というのは、国じゅうにそれが欲しいと思うものがないわけではないが、誰もそれを買うべき手立てはないというのである。このように地より発る空華があるし、またこの大地のことごとくが華によって花開くのである。
道元禅師は最後に、空華は地も空も、ともに華ひらかしめる働きがあるということを、肝に銘じるべきであると締めくくっています。

img_2824-1.jpg昨年の10月から始まった「空華」の巻のご提唱は今月で終了しました。今月は本来ならば23日からオリンピックが開催され、今頃は日本中がオリンピック一色になっていたはずです。しかし新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となり、国立競技場にかかる五輪の旗は幻となりました。
聖火がギリシャから空輸された3月20日、航空自衛隊松島基地ではブルーインパルスが聖火歓迎の五輪のマークを青空に描くはずでしたが、強風で消えてしまい失敗だったそうです。文字通り空華となってしまいました。空で開く五輪のマークも消え、地で開く五輪のマークも消えてしまいました。新型コロナウイルス対策次第ですが、来年のオリンピック開催はどうでしょうか、五輪の旗が空華にならなければよいのですが・・・

五十嵐年番幹事からのお知らせ

・今年も8月16日(日)に龍泉院施食会が行われます。午前中は本堂の飾り付け、午後からは駐車場整理と本堂での参加者対応です。また台所で茶菓やお弁当の準備作業などがあります。現在8名の方がお手伝いを申し込まれていますが、ご協力できる方は申込用紙にお名前を記入してください。ご協力をお願いします。

小畑代表幹事からのお知らせ

・自由参禅が第1日曜日と第2土曜日に行われています。

ご老師からのお知らせ

・今年の施食会は簡素化して、新盆の方は各家につき1名参加を原則としました。またご随喜のお坊さんはお呼びいたしません。
・最近発行しました『沼南宗教文化誌』(たけしま出版)が好評です。欲しい方はお知らせください。

今月の司会者 近江 玲子
今月の参加者 23名
来月の司会者 市川 信彦

最終更新日 ( 2020/07/29 水曜日 15:56:39 JST )
 
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