令和二年三月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼藏』「空華」の巻(6)

img_2752-1.jpg成立する道理なくは、瞖華の妄法なることしかあるへからさるなり。悟の瞖なるには、悟の衆法ともに瞖荘嚴の法なり。迷の瞖なるには、迷の衆法ともに、瞖荘嚴の法なり。しはらく道取すへし、瞖眼平等なれは、空華平等なり、瞖眼無生なれは、空華無生なり、諸法實相なれは、瞖華實相なり。過現未を論すへからす、初中後にかかはれす。生滅に罣礙せさるゆゑに、よく生滅をして生滅せしむるなり。空中に生し、空中に滅す。瞖中に生し、瞖中に滅す。華中に生し、華中に滅す。乃至諸餘の時処も、またまたかくのことし。
空華を学せんこと、まさに衆品あるへし。瞖眼の所見あり、明眼の所見あり。佛眼の所見あり、祖眼の所見あり。道眼の所見あり、瞎眼の所見あり。三千年の所見あり、八百年の所見あり。百劫の所見あり、無量劫の所見あり。これらともにみな空華をみるといへとも、空すてに品品なり、華また重重なり。
まさにしるへし空は一草なり、この空かならす華さく、百草に華さくかことし。この道理を道取するとして、如来道は、空本無華と道取するなり。本無華なりといへとも、今有華なることは、桃李もかくのことし、梅柳もかくのことし。梅昨無華梅春有華と道取せんかことし。しかあれとも時節到来すれはすなはち華さく、華時なるへし、華到来なるへし。この華到来の正當恁麼時みたりなることいまたあらす。


今月の所感

img_2751-1.jpg今月の例会は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、政府から外出等の自粛が要請されていることもあり、参加者は普段の三分の一の10名でした。
感染防止の観点から、坐禅堂の空気が澱まないように全ての窓を開け、正面の開き戸も初めて開けました。そのため堂内を風がヒューヒューと通り抜けてゆきました。また単の間隔も十分に開け、マスクを付けて坐っていただきました。
坐禅と『正法眼蔵』のご提唱はいつもの通りに行いましたが、茶話会は感染予防の観点から中止としました。
気温も高く境内や坐禅堂の裏山にある桜は八分咲きとなり、その他の花々も咲き始め、非常に良い季節となってきましたが、新型コロナウイルスの猛威のため、なんとなく寂しい参禅会となりました。
年番幹事の齋藤さんは坐禅中に次のような歌が頭に浮かんだようです。
「世の中に新型コロナなかりせば春の心はのどけからまし」

今月の「空華」の巻のご提唱は、空華の本質について道元禅師が深く粘提されているところですので、かなり難解でした。「空華」の巻は「海印三昧」に比べてわかりやすいと思っていましたが、今月の箇所はそれほど難しい用語はないのですが、内容的には「海印三昧」と同じくらい深く難解でした。
難解ですが今月のご提唱の中で最も核心となるところは、「まさにしるへし空は一草なり、この空かならす華さく、百草に華さくかことし。この道理を道取するとして、如来道は、空本無華と道取するなり。本無華なりといへとも、今有華なることは、桃李もかくのことし、梅柳もかくのことし。」だと思います。「空本無華」は『円覚経』や『首楞厳経』に見える言葉で、「空にはもとより華なし」と読み下します。
ここで特に注目されるのが、「本無華なりといへとも、今有華なる」という言葉です。空であり本来的には無である華ではあるが、つまり、存在を象徴する華は、「空そのもの」「無そのもの」である。しかし、今この瞬間には確かなものとして存在している。「空そのもの」から「今存在する花」が立ち現れているのだと道元禅師はお示しになられているのです。
一旦、日常的な存在(華)が空へと還元して、空からまた存在(今有華)が現れてくるというのです。ここが「空華」の巻のエッセンスではないかと思うところです。
「空華」の巻の核心に触れるところですが、今月は新型コロナウイルスの脅威で、この箇所のご提唱を拝聴された方が少なかったのは残念なことでした。


ところで『正法眼蔵』が難解なところでは現代語訳を頼りにするのですが、ご老師は「現代語訳は読んではいけません」と言われました。『正法眼蔵』を読む時には「自分が正法眼蔵になって読む」ことが求められるとのこと。そのためには般若の智慧を自分自身に付けてから読むことが求められるとのことでした。
これは『正法眼蔵』の現代語訳を読んで、わかったような気になるのですが、それでは本当にわかったことにはならない。仏教についてあらゆる勉強を重ね、仏教に関する知識を十分に身につけてから『正法眼蔵』に取組み、その知識に応じて理解できた分だけが、本当に自分のものになるとのお示しではないかと思います。
img_2756-1.jpg昔から『正法眼蔵』の注釈書を著述した方は大勢いらっしゃいますが、ご老師から
天桂伝尊という方がおられるとご紹介がありました。天桂伝尊の『正法眼蔵辦註』20巻は、本格的な注釈書としては最初のもので、『正法眼蔵』60巻本に注釈を施したものです。
『正法眼蔵』は当時からどれが道元の親撰であるかどれが偽撰であるかという説が混沌としていましたが、天桂伝尊は『驢耳弾琴』7巻や『海水一滴』5巻や『碧厳集舐犢鈔』5巻等を著した仏教教理に通じた人でしたので、自らの見識で60巻本を選別し、誤写脱漏もあるとして語句の訂正を行うなど、毅然とした姿勢を追求された方です。
『正法眼蔵辦註』は天桂伝尊自身の学識に基づいて注釈しましたので、当時のオーソドックスな『正法眼蔵』の解釈とは異なるものでした。天桂は宗統復古運動のリーダーだった卍山道白などの宗学は、道元禅師の基本をきわめていないと批判し、そのため近年まで天桂およびその法系(天桂派)は異端視されてきました。
また天桂伝尊の著述はどれも難しいため、天桂およびその法系について「天桂地獄」「地獄悟り」などとも呼ばれています。
天桂伝尊という方は初めてお聞きしましたので、少し調べてみて、地獄を少し味わってみたいとも思っています。

今月は茶話会がなかったので、お知らせはありません。

今月の参加者 10名

最終更新日 ( 2020/04/04 土曜日 12:31:47 JST )
 
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