令和二年二月涅槃会報告 プリント

img_2707-1.jpg令和2年2月15日(土)、三仏忌の一つである涅槃会が椎名老師、明石和尚、小畑代表以下13名が参加して行われました。
涅槃会に参加するため山門に差し掛かると、左側に立っていた2本の大杉がなくなっているのに気づきました。昨年の台風で傾き隣家へ被害をもたらす恐れが生じたため、切り倒されたそうです。山門の脇を固めていた大杉の片方がなくなり、山門の周りが明るくはなりましたが、荘厳さが少し薄れたように感じました。
午後1時に集合し本堂での法要の準備を行い、明石和尚の指導を受けながら法要のリハーサルを行いました。
午後2時より法要が始まり、ご老師を導師とした一行が入堂しました。ご老師の涅槃会にあたっての香語は読み上げられ、続いて普同三拝、般若心経一巻と舎利礼文を三度お唱えしました。

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次にご老師から本堂に掛けられている涅槃図について次のようなお話がありました。
龍泉院の涅槃図は2月1日から15日まで本堂に掛けられていますが、昔から掛けてあったわけではありません。昭和50年ごろまでは龍泉院に涅槃図があることを知りませんでした。ある時須弥壇の戸棚の中に粗末の箱があるので、箱の蓋を開けてみたら、埃だらけの涅槃図があるのを見てびっくりしました。
img_2712-1.jpg涅槃図は下の方まで傷んでおり、とても掛けることができる状態ではありませんでした。掛け軸の下の棒に文字が書いてあるので読んでみたところ、正徳5年(1715)と書かれていました。箱にも文字が書いてあり、浅草の市郎兵衛が描いたものであると書かれていました。
このような古いものはなんとか修復しなければと思い、修復の機会を永年念願していました。強く念願し続けると叶うもので、平成に入り落合さんが直しましょうと申し出てくださいました。従って龍泉院で涅槃会を行うようになったのは平成に入ってからです。
なお、日本で一番古い涅槃図は高野山にあるもので、1080年ぐらいに制作されたものです。中国やインドには古い涅槃図は見当たりません。日本にある涅槃図を模写したものが多いそうです。
涅槃図には仏教思想や仏教に関連した歴史上のことが絵の中に隠れています。ですから涅槃図を見る場合にはどこを中心にして見るかが大事になってきます。
涅槃に入られたお釈迦様の前で嘆き悲しんで気絶している方は阿難尊者で、右上には摩耶夫人の来迎図ありますが、これは浄土思想のあらわれです。ごくまれに左上に描かれたものもありますが、これは江戸時代以前の中世のもので、時代によって描き方も異なってきます。
img_2717-1.jpg沙羅双樹が8本ありますが、この内4本は枯れています。右か左かどちら側かの4本が枯れている場合と、互い違いに枯れている場合があります。
また沙羅双樹の1本に赤い巾着のようなものが引っかかっています。これは摩耶夫人がお釈迦様のための薬を入れた袋を天上から投げたところ、沙羅双樹の木に引っかかってしまったと言われていました。しかし最近の学説では、お釈迦様の身の回りのものが納められてた袋であると言われています。
お釈迦様の身の回り品が入った袋が木に引っかかっているのは、もう身の回りの品がいらなくなったためであるという学説ですが、この方が正しいのではないかと思います。
以上が涅槃図に関するご老師の法話でした。法話の後に一炷の坐禅を行い、茶話会となりました。茶話会では涅槃図に関する質疑が出され、ご老師は質問に対して丁寧にお答えなさっていました。.

最終更新日 ( 2020/02/20 木曜日 16:33:57 JST )
 
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