令和元年九月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼藏』「海印三昧」の巻(8)

img_1906-1.jpg師いはくの包含万有は、海を道著するなり。宗旨の道得するところは、阿誰なる一物の、万有を包含するとはいはず、包含万有なり。大海の万有を包含するといふにあらず、包含万有を道著するは、大海なるのみなり。なにものとしれるにあらざれども、しばらく万有なり。仏面祖面と相見することも、しばらく万有を錯認するなり。包含のときはたとひ山なりとも高高峰頭立のみにあらず。たとひ水なりとも深深海底行のみにあらず。収はかくのごとくなるべし、放はかくのごとくなるべし。仏性海といひ、毘盧蔵海といふ、ただこれ万有なり。海面みえざれども、游泳の行履に疑著することなし。たとへば、多福一叢竹を道取するに、一茎両茎曲なり、三茎四茎斜なるも、万有を錯失せしむる行履なりとも、なにとしてかいまだいはざる千曲万曲なりと。なにとしてかいはざる千叢万叢なりと。一叢の竹、かくのごとくある道理わすれざるべし。曹山の包含万有の道著すなはちなほこれ万有なり。
僧曰、為什麼絶気者不著は、あやまりて疑著の面目なりといふとも、是什麼心行なるべし。従来疑著這漢なるときは、従来疑著這漢に相見するのみなり。什麼処在に、為什麼絶気者不著なり、為什麼不宿死屍なり。這頭にすなはち既是包含万有、為什麼絶気者不著なり。しるべし包含は著にあらず、包含は不宿なり。万有たとひ死屍なりとも不宿の直須万年なるべし、不著の這老僧一著子なるべし。
曹山の道すらく、万有非其功絶気。いはゆるは、万有はたとひ絶気なりとも、たとひ不絶気なりとも、不著なるべし。死屍たとひ死屍なりとも、万有に同参する行履あらんがごときは、包含すべし、包含なるべし。万有なる前程後程その功あり、これ絶気にあらず。いはゆる、一盲引衆盲なり。一盲引衆盲の道理は、さらに一盲引一盲なり、衆盲引衆盲。衆盲引衆盲なるとき、包含万有包含于包含万有なり。さらにいく大道にも万有にあらざる、いまだその功夫現成せず、海印三昧なり。
正法眼蔵海印三昧
仁治三年壬寅孟夏二十日、記于観音導利興聖宝林寺。


今月の所感

今月の「海印三昧」の巻のご提唱は、曹山本寂禅師と僧との問答についての粘提です。
曹山元証大師、因僧問、承教有言、大海不宿死屍。如何是海。
師云、包含万有。
僧云、為什麼不宿死屍。
師云、絶気者不著。
僧云、既是包含万有、為什麼絶気者不著。
師云、万有非其功絶気。
先月のご提唱は、僧が曹山に「大海不宿死屍。如何是海」と質問した箇所についてでした。「大海は死屍を宿めず」とある、その大海とはどのようなものであるかについて道元禅師が詳しく述べられたところです。
img_1905-1.jpg即ち、大海とは内海とか外界とかというものでもなく、須弥山世界の八つの海のことでもない。ここでいう大海とは四大五蘊の合成という海印三昧の海なのであると。また、その大海には「死屍を宿めず」とあるのは、明るいものが来れば明るいものにあたり、暗いものが来れば暗いものにあたるように、何ものにもこだわらないことをいうのであると、道元禅師は述べておられます。
今月は僧からの質問を受けて、曹山禅師の「包含万有」と答えたことについての道元禅師の粘提から始まります。「万有を包含する」ということは、海について述べていることなのだ。その真意はなにか一つの物が万有を包含するというのではなく、ただ万有が万有を包含していることなのだと道元さんは述べられています。
さらに大海が万有を包含しているのではなく、万有が万有を包含していることが大海である。これが何者であるかはわからないが仮にこれを万有としておこう。たとえば仏性海とか、釈尊の化身である毘盧遮那佛の持っている広大無辺な徳の海などは、万有のことであると、道元さんは述べられています。(この辺になると私などは、何が何だかよくわからないのが正直なところです。)
曹山禅師の答えに対して僧が「為什麼不宿死屍」と言いました。僧が「(万有を包含するなら)どうして息の絶えたものをとどめないのですか」と言ったのは、ちょっと疑問を呈しているように見えますが、この僧はなかなかできた僧らしく、これまで懐いてきた疑問に相見えている内に、もう「息の絶えたものはとどめない」と思うようになってきたのです。
どんな処だから、どうして息の絶えたものはとどめないのか、どうしてそこには死屍をとどめないのか。この僧はこのような疑問を繰り返しているうちに、いつしか、ああそれは、大海がすでに万有を含んでいるからこそ、息の絶えたものはとどめないのだということがわかってきたのであると、道元さんは述べられています。
img_1914-1.jpg要は「包含する」ということは、とどめることでもなく、宿すことでもない。万有はたとい死屍であろうとも、けっして永遠に残さない。とどめないことは、永遠にとどめないことなのです。(わかったような、わからないような・・・)。
最後に曹山禅師が「万有非其功絶気」と言っています。「万有はその役を果たさなくなった時に、息を絶えるというのだ」と言った万有とは、たとえ息が絶えたものであっても、たとえ息が絶えていないものであっても、そのどちらにも宿めるわけではない。死屍がたとえ死屍であっても万有と共に働くときは、万有を包含し包含されるのである。万有の先にまた後に、その役を果たしているものは、けっして息の絶えたものではない。そこではいわゆる一人の盲人がもろもろの盲人の手を引いているのである。その道理は、一人の盲人が一人の盲人を引くことは、もろもろの盲人がもろもろの盲人を引くことにつながる。もろもろの盲人がもろもろの盲人を引くとき、それは万有を包含することが、万有を包含することに包含されることになるのである。かくて、さらにどこの国どこの世界に行っても、万有がなければ、大海の働きは現れないのである。これが大海の現し示す境地(海印三昧)ということになると、道元禅師様は締めくくっておられます。
以上が今月のご提唱についての私なりの解釈です。このような解釈を書いていても、本当のところはよくわかりません。『正法眼蔵』の中でも最難関といわれる「海印三昧」も今月でようやく終わりとなりました。ご老師は我々に何とか「海印三昧」で述べられている内容をわかりやすく伝えようと、さぞお疲れになられたことと存じます。ご苦労様でした。
来月からは「空華」の巻が始まります。お楽しみに。



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今月の司会者 吉澤 誠
今月の参加者 34名(新人2名)
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最終更新日 ( 2019/09/26 木曜日 08:45:39 JST )
 
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