令和元年八月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼藏』「海印三昧」の巻(7)

img_0879.jpg-1.jpg曹山元証大師、因僧問、承教有言、大海不宿死屍。如何是海。
師云、包含万有。
僧云、為什麼不宿死屍。
師云、絶気者不著。
僧云、既是包含万有、為什麼絶気者不著。
師云、万有非其功絶気。
この曹山は、雲居の兄弟なり。洞山の宗旨、このところに正的なり。いま承教有言といふは、仏祖正教なり。凡聖の教にあらず、附仏法の小教にあらず。
大海不宿死屍。いはゆる大海は、内海・外海等にあらず。八海等にはあらざるべし。これらは学人のうたがふところにあらず。海にあらざるを海と認ずるのみにあらず、海なるを海と認ずるなり。たとひ海と強為すとも、大海といふべからざるなり。大海はかならずしも八功徳水の重淵にあらず、大海はかならすしも鹹水等の九淵にあらず。衆法は合成なるべし、大海かならずしも深水のみにてあらんや。このゆえに、いかなるか海と問著するは、大海のいまだ人天にしられざるゆえに、大海を道著するなり。これを問著せん人は、海執を動著せんとするなり。
不宿死屍といふは、不宿は明頭来明頭打、暗頭来暗頭打なるべし。死屍は死灰なり、幾度逢春不変心なり。死屍といふは、すべて人人いまだみざるものなり。このゆえにしらざるなり。


今月の所感


img_0872-1.jpg今月のご提唱の初めは、曹山本寂禅師と僧との『大方廣佛華嚴經』卷77「入法界品」にある「善知識者不受諸惡,譬如大海不宿死屍」に関しての問答が取り上げられています。
僧が「大海は死屍を宿めずとありますが、その大海とはどのようなものでしょうか」と『華嚴經』をもとに曹山に質問しているところです。ご老師からは、この死屍を仏教ではどう取り扱うかについて、次のようなご教示をいただきました。
海は全てのものを包み込んでおり、仏教と捉える事が出来ます。仏法に照らすと全てが写し出されて来ます。また、仏の姿は全て違っているため、わがままを凝らしていると見つけることは出来ません。
海は死体を止める事がありません。息の止まった(絶気した)ものは、他の者とくっ付くことはなく、全てのもの(万有)は亡くなってしまうと、息が絶えます。亡くなってしまうと、それ自体に功徳がありません。つまり、死体は仏法の及ぶところではないということになります。


小畑代表幹事からのお知らせ

・8月16日(金)に行われた施食会には15名のお手伝いを頂き、無事円成いたしました。

ご老師からのお知らせ

・お盆の施食会には参禅会の方にお手伝い頂きありがとうございました。

今月の司会者 市川 洋介
今月の参加者 29名
来月の司会者 

最終更新日 ( 2019/10/28 月曜日 21:38:45 JST )
 
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