令和元年六月一日接心報告 プリント
img_1835-1.jpg6月2日(日)に初めての一日接心が行われました。これは昨年まで行われていた「一夜接心」を、令和の新時代になり「一日接心」へと衣替えしたものです。
一泊することがなくなったため参加者は32名となり、昨年より大幅に増加しました。特に月例参禅会には参加していないが、自由参禅には参加されている方々が今回は多く参加されました。
年番幹事や典座役の方々は前日から会場の設営や料理道具の運び込み・下ごしらえなどを行ってくださいました。当日は曇り空ながらさわやかな風が吹き、暑くもなく寒くもなく、坐るのには絶好の日和となりました。
午前7時40分から受付が始まり、8時に小畑代表からオリエンテーションがありました。次いで坐禅堂に移動して第一炷目の坐禅が始まりました。
ご老師の「これより一日接心開始」との発生と共に止静鍾が打たれ、口宣が述べられました。しばらくした後に、警策でバシッと畳を打つ炸裂音がしたかと思うと、「坐禅が始まったばかりに転寝しない」とご老師からのきつい一喝が入りました。堂内にはサッと緊迫した空気が流れ、思わず背筋がびしっと伸びました。今回初めて一日接心に参加した人は、ご老師の一喝にさぞかしびっくりされたのではないでしょうか。
img_1841-1.jpg一炷目の坐禅が終わり、しばし休憩した後、二炷目の坐禅となり、坐禅の後半に「普勧坐禅儀」(前半)を皆で諷誦しました。午前中の坐禅はこれで終わりです。
大悲殿に移り禅講となり、「やさしく読む参同契」と題したご提唱がありました。これは昨年、龍泉院参禅会45周年記念として大法輪閣から出版された、『やさしく読む参同契・宝鏡三昧』の参同契についてのエッセンスを解説していただくものです。
中国古代の詩に関するお話をされた後、「参同契」の参とは入れ混ざる、不揃いのこと。同とは共にする、一緒に行うこと。契とはピッタリ一つになること。即ち「参同契」とはバラバラな事柄が集まってピッタリと一つになることであるとの解説がありました。
『参同契』の中心テーマとなっている「明」と「暗」については、明は事(現象、事物、現象面のはたらき)に対応しており、暗は理(道理、真理、事相の本質的な面)に対応しており、明と暗は回互(互いに入り交って関係し、相依相存の形でありながら、それぞれの独自の意義を失わないこと)しているのだとのお示しがありました。
img_1862-1.jpg禅講の後、記念写真を撮り中食となりました。典座さんが喜心・老心・大心でもって作られた食事が運ばれ、五観の偈をお唱えしていただきました。茶話会では今回の中食がこれまでで一番おいしかったとの声が多数あがりました。
午後は三炷目の坐禅から始まりましたが、食後の坐禅のせいか、時間が長く感じられました。続いて禅講(二)となり、「やさしく読む宝鏡三昧」と題した講話がありました。
『宝鏡三昧』は『宝鏡三昧歌』とも言われ、もともとは曲をつけ声をあげ高らかに歌われたものでした。しかし現在は曲譜が現存しないため、どのようなメロディかわからず、歌うことができないとのお話でした。
『宝鏡三昧』の核心は「汝」と「渠」との関係です。これは洞山良价禅師の悟りを偈した「過水悟道の偈」からとられたものですが、この時の情景をモチーフとした掛軸が老師の脇にかけられていました。
この画は江戸時代の正徳年間に龍泉院が入手したのもで、もとは元の時代に制作されたものを、宇治の興聖寺で版画による複製がなされたものだそうです。興聖寺で複製された版画は、今は龍泉院にしか現存しないとのことでした(ちなみに『やさしく読む参同契・宝鏡三昧』の表紙の画は、龍泉院蔵の「洞山過水の偈」です)。
img_1848-1.jpg禅講の後、坐禅堂に移り四炷目の坐禅となり「普勧坐禅儀」(後半)を全員で諷誦しました。
最後は大悲殿で茶話会となり、参加者から一言づつ感想が述べられました。ご老師からは今回の中食は典座さんが3日前から準備されただけに、これまでで一番おいしかったとのお褒めの言葉がありました。また一日接心の差定はよく練られていたが、来年に向けてもう一度検討してくださいとのご指示がありました。


最終更新日 ( 2019/06/07 金曜日 16:05:16 JST )
 
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