平成三〇年七月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼蔵』「佛經」の巻(4)

img_0798.jpg-1.jpg能轉所轉、轉経経轉なるかゆゑに、悉知悉見なるへきなり。
先師尋常道、我箇裏、不用焼香禮拝念佛修懺看経、祇管打坐、辨道功夫、身心脱落。
かくのことくの道取あきらむるともからまれなり。ゆゑはいかん。看経をよんて看経とすれは觸す、よんて看経とせされはそむく。不得有語、不得無語、速道速道。
この道理参學すへし。この宗旨あるゆゑに、古人云、看経須具看経眼。
まさにしるへし古今にもし経なくは、かくのこときの道取あるへからす。脱落の看経あり、不用の看経あること参學すへきなり。
しかあれはすなはち参學の一箇半箇、かならす佛経を伝持して佛子なるへし。いたつらに外道の邪見をまなふことなかれ。いま現成せる正法眼蔵は、すなはち佛経なるかゆゑに、あらゆる佛経は正法眼蔵なり。一異にあらす、自佗にあらす。しるへし正法眼蔵そこはくおほしといへとも、なんたちことことく開明せす。しかあれとも正法眼蔵を開演す、信せさることなし。
佛経もしかあるへし。そこはくおほしといへとも、信受奉行せんこと、一偈一句なるへし。八萬を解會すへからす、佛経の達者にあらされはとて、みたりに佛経は佛法にあらすといふことなかれ。なんたちか佛祖の骨髄を稱しきこゆるも、正眼をもてこれをみれは、依文の晩進なり。一句一偈を受持せるにひとしかるへし、一句一偈の受持におよはさることもあるへし。この薄解をたのんて佛正法を謗することなかれ。聲色の佛経よりも功徳なるあるへからす。聲色のなんちを惑亂するなほもとめむさほる。佛経のなんちを惑亂せさる、信せすして謗することなかれ。


今月の所感

img_0803.jpg-1.jpg今月のご提唱の初めに漢文で、「先師(如淨禅師)尋常道、我箇裏、不用焼香禮拝念佛修懺看経、祇管打坐、辨道功夫、身心脱落。」とあります。この語句は大変よく知られており、「佛教」の巻だけではなく、「辨道話」「行持」「三昧王三昧」の巻や、『寶慶記』『永平廣録』にも見られる語句です。
如淨禅師は仏道の世界では焼香や礼拝などはいらない、只管に打坐して、弁道工夫し、身心脱落すべきであると述べられたのです。仏道で重要な行持である焼香や礼拝をさしおいて、祇管打坐が最も大切な行持であると示されたのですが、これは焼香礼拝をする必要がないというのではありません。
現に『正法眼蔵』の中には「看経」の巻や「礼拝得髄」の巻があります。要は焼香や礼拝も大切な行持ではあるが、それ以上に坐禅は仏道修行上、最重要な必須科目であると示されたのです。
因みに礼拝についてご老師は、先師から「礼拝するものと礼拝されるものも、ともに空でなければならない」という『礼拝偈』を教えられ、常に礼拝される時には、
「能礼所礼性空寂。自身他身体無二.願共衆生得解脱。発無上意帰真際。」
とお唱えされているとのことでした。
次に「看経をよんて看経とすれは觸す、よんて看経とせされはそむく。不得有語、不得無語、速道速道。」という語句があります。看経を看経と呼ぶならば、名に囚われすぎる。看経を看経と呼ばなければ、それは名を無視することになる。語ってはいけない、さりとて語らないのもいけない。さあ速やかに言え、速やかに言えということですが、これなどはいかにも禅問答らしいですね。
それもそのはず、これは大慧宗杲が小参か晩参の時に、弟子に下記のように質問したことが本になっているのです。
師(大慧宗杲)室中舉竹篦問僧云、喚作竹篦則觸、不喚作竹篦則背。不得有語、不得無語。速道速道。(師室中に竹篦を舉し僧に問うて云く、喚んで竹篦と作さば則ち觸す、喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。不得有語、不得無語。速道速道。)(『宗門統要続集』巻第二〇)

img_0812.jpg-1.jpgまた、『無門関』にも同じような問答が見えます。
無門、喚作竹篦則觸、不喚作竹篦則背。不得有語、不得無語。速道、速道。(無門曰く、喚んで竹篦と作さば則ち觸す、喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。有語なることを得ず、無語なることを得ず。速かに道え、速かに道え。)(『無門関』)
さらに、如淨禅師にも、次のような語句があります。
卓拄杖云、喚作拄杖則觸、不喚作拄杖則背。不得有語、不得無語。(拄杖を卓てて云く、喚んで拄杖と作さば則ち觸す、喚んで拄杖と作さざれば則ち背く。有語なることを得ず、無語なることを得ず。)(『如淨和尚語録』卷下)
ものごとを説明するのに言葉でしてしまうと、その言葉に囚われてしまい第二義に陥ってしまいます。しかし言葉にしなかったならば伝えることができません。本質をどのように伝えるかが禅の基本的な課題で、このための解明が常に問われ続けているのです。
また、「古人云、看経須具看経眼」とありますが、これは雲門禅師の発した言葉です。
師(雲門匡真禪師)因見僧看經乃云、看經須具看經眼。燈籠露柱、一大藏教、無欠少。拈起拄杖云、一大藏教、總在拄杖頭上。何處見有一點來、展開去也。如是我聞、十方國土、廓周沙界。(師因みに僧の看經するを見て乃ち云く、看經須具看經眼。燈籠露柱、一大藏教、欠少すること無し。拄杖を拈起して云く、一大藏教、總に拄杖頭上にり。何れの處にか一點の有り來たるを展開し去るを見るや。如是我聞、十方國土、廓周沙界。)(『雲門匡真禪師廣錄』卷下)
即ち、お経の文字を読む時には、一文字一文字に囚われのではなく、仏身に証契し、師の教えに従って体得されるべきものと思う次第です。
img_0818.jpg-1.jpg今月の「佛經」の巻の半ばから後半にかけて、仏経について道元禅師の素晴らしいお言葉が連続して示されています。
「参學の一箇半箇、かならす佛経を伝持して佛子なるへし。」
「いま現成せる正法眼蔵は、すなはち佛経なるかゆゑに、あらゆる佛経は正法眼蔵なり。一異にあらす、自佗にあらす。」
「佛経もしかあるへし。そこはくおほしといへとも、信受奉行せんこと、一偈一句なるへし。八萬を解會すへからす、佛経の達者にあらされはとて、みたりに佛経は佛法にあらすといふことなかれ。」
等です。
これからは腰をしっかりと落ち着けて、仏経を看経眼でもってじっくりと味わって行こうと思いますが、その前にしっかりと坐って看経眼を育む必要があります。

今月の参禅会には37名と多くの方々が参加されました。その内4名の方は新しく来られた方で、女性が2名、男性が2名でした。女性のお二人は杉浦さんのご紹介で、男性のお二人はネットでの参加申し込みでした。参禅者が多いことと『明珠』70号の記念号に掲載するため、坐禅終了後に本堂の前で集合写真を撮りました。


小山年番幹事からのお知らせ

・8月16日に施食会が行われます。龍泉院では最大の行事ですので、お手伝いされる方を募集しています。参加される方は当日8時半までに来山してください。

岡本明珠編集委員長からのお知らせ

・『明珠』70号に「私と参禅会」を特集します。皆様からの原稿を募っていますので、400字以内に坐禅等についての感想などを纏めていただき、8月10日までに岡本までお送りください。
・今日、参禅会の後で新しい会員の方と岡本・清水・小畑(二)氏との懇談会を開催いたします。参加される方はお残りください。


美川さんからのお知らせ

『明珠』創刊号によると、47年前の7月25日に第一回龍泉院参禅会が行われました。今日は四七回目の誕生日です。

ご老師からのお知らせ

・今年の暑さは半端ではありません。皆様それぞれの方法でこの暑さを乗り切ってください。
・昨年は施食会のお手伝いされる方が17名でした。今年は10名と少ないようです、奮ってご参加ください。

今月の司会者 河本 健治
今月の參加者 37名
来月の司会者 小畑 二郎
最終更新日 ( 2018/07/27 金曜日 12:44:44 JST )
 
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