平成二九年一二月成道会報告 プリント


img_0333.jpg-1.jpg平成28年12月3日、第35回成道会が行われました。成道会はお釈迦様がお覚りを開かれたことに感謝する行事で、龍泉院では毎年行われています。今回は参禅会員が報恩の坐禅を二炷行った後、梅花講員と一緒に成道会の法要を行いました
導師はご老師が務められ、維那は杉浦さん、副堂は五十嵐さん、侍者は武田さん、侍香は刑部さん、先導は山本さん、殿鐘は鈴木さんが務められました。
梅花講の講員による釈尊の成道を讃える御詠歌が流れる中、導師が入道。導師による釈尊の成道を讃える拈香法語が述べられ、導師と共に一同三拝し、般若心経一巻を諷誦し、また導師と共に一同三拝して法要が終わりました。

法要の後、引き続きご老師と参禅会員との間で下記のような問答が行われました。
問:死は避けて通れない。どう対処したらよいのか。
答:人は刻一刻、生と死を繰り返しています。対処しようと考えるのは迷いで、懸命に生きることが生死を超える秘策であります。
問:宗教心とはいかなるものか。
答:考えるだけではダメ。実行する時に宗教心が芽生えて来ます。
問:和尚の百年の後は如何。
答:草むらにあって蛇のごとく徘徊していることでしょう。
問:橋は流れ、水は流れずという禅語の味わいは如何。
答:常識に振り回されないことです。
img_0342.jpg-1.jpg問:心不可得とありますが、以心伝心とは如何に。
答:命と命がぶつかった所にあります。
問:自灯明を自分のものにするには何が大事ですか。
答:自分の力で自分を照らすことです。あなたはいつも自灯明で自分を照らしておられるので、言葉に捉われることはありません。
問:真理を自分の手本にするとは如何。
答:今、柔らかい光が差しています。それ以外のなにものでもありません。
問:生死とは。
答:紅葉した葉が舞い落ちる中、来年の芽が育っている。これが生死の実態です。

問答後、御老師から次のような法話がありました。
私はいつも名僧・傑僧について話していますが、今回は龍泉院第五世住職幽谷機雄和尚について話したいと思います。
img_0350.jpg-1.jpg幽谷和尚は一般には知られていませんが、龍泉院中興の祖です。記録がないのでわかりませんが、長福寺の近くの米本で生まれたのではないかと思います。千葉県八千代市の長福寺の三世となられ、次いで茨城県那珂市の蒼龍寺の三世も兼ね、さらに龍泉院の住職となられました。隱居後、若白毛に長栄寺を創建されました。長福寺、蒼龍寺は龍泉院の兄弟寺であり、長栄寺は末寺となります。
江戸時代の初め、下総のこの地は本多平八郎忠勝の甥の本多政重の領地になりました。本多政重は徳川譜代千石取りの武士でしたが、この地で九千石を得て、一万石の大名になりました。この周辺で約四〇カ村を支配し、代官所を二つ置きました。
元和三年ごろこの地は大洪水に見舞われ、領主の本多氏二代目の正貫が領内の被害状況の視察に出かけました。その際、龍泉院に一泊することになりました。当時の龍泉院の住職が幽谷和尚で、龍泉院は今の地ではなく、谷を挟んだ村中の騒がしくうるさいところにあり、しかも敷地の狭い寺でした。正貫公が龍泉院に一泊しましたが、周りの騒音がうるさく眠れなかったのです。寺は静かなところに建てるべきだと思った正貫公は、翌朝、住職の幽谷和尚に、現在のところに四町歩を寄進し、全ての伽藍も建てることを告げたのです。これは単にうるさくて眠れなかっただけではなく、幽谷和尚の立派な人柄に正貫公が魅かれたからだと思います。
正貫公から正直、正永、正武と四代にわたり九〇年間、龍泉院は本多氏の帰依を受け、四〇兩という大金など色々なものが寄進されたのですが、今残っているのは粗末な本多氏四代の位牌だけです。私は近くこれを大名位牌に変えたいと思っています。
img_0357.jpg-1.jpgでも一番肝心なことは、幽谷和尚が大変偉く優れていたからこそ、こういう帰依を受けたのであろうと思うわけであります。

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法話の終了後、茶話会に移り、典座役の松井さん、小山さん、佐藤さんの料理に舌鼓を打ちました。参加者は会員三一名、梅花講七名の三八名で、前回より六名ほど増え、特に初めて参加の方が5~6名だったことは非常にうれしいことです。

最終更新日 ( 2018/04/30 月曜日 10:22:14 JST )
 
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