平成二九年九月定例参禅会報告 プリント

今月の提唱

『正法眼蔵』「(後)心不可得」の巻(2)

img_9672.jpg-1.jpg和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし、和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず。
徳山ときに茫然として祇對すべきことをえざりき。婆子すなはち拂袖して出ぬ。つひにもちひを徳山にうらず。
うらむべし数百軸の釋主、数十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、すみやかに負處におちぬること。師承あると、師承なきと、正師の室にとぶらふと正師の室にいらざると、はるかにことなるによりてかくのごとし。不可得の言をききては、彼此ともにおなじくうることあるべからずとのみ解せり、さらに活路なし。またうべからずといふは、もとよりそなはれるゆゑにいふなんとおもふひともあり。これをいかにもあたらぬことなり。徳山このときはじめて畫にかけるもちひはうゑをやむるにあたはずとしり、また佛道修行にはかならずそのひとにあふべきとおもひしりき。またいたづらに経書にのみかかはれるがまことのちからをうべからざることをもおもひしりき。つひに龍潭に参じて、師資のみち見成せりしより、まさにそのひとなりき。いまは雲門法眼の高祖なるのみにあらず、人中天上の導師なり。
この因縁をおもふに、徳山むかしあきらめざることは、いまみゆるところなり。婆子いま徳山を杜口せしむればとても、實にそのひとにてあらんこともさだめがたし。しばらく心不可得のことばをききて、心あるべきにあらずとばかりおもひて、かくのごとくとふにてあるらんとおぼゆ。徳山の丈夫にてありしかば、かんがふるちからもありなまし。かんがふることあらば、婆子がそのひとにてありけることもきこゆべかりしかども、徳山の徳山にてあらざりしときにてあれば、婆子がそのひとなることもいまだしられずみえざるなり。
またいま婆子を疑著すること、ゆゑなきにあらず。徳山道不得ならんに、などか徳山にむかふていはざる、和尚いま道不得なり、さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべしと。このとき徳山の問をえて、徳山にむかひていふことありせば、老婆がまことにてあるちからもあらはれぬべし。かくのごとく古人の骨髓も、面目も、古佛の光明も、現瑞も、同參の功夫ありて、徳山をも、婆子をも、不可得をも、可得をも、餅をも、心をも、把定にわづらはさるのみにあらず、放行にもわづらはさるなり。
いはゆる佛心はこれ三世なり、心と三世とあひへだたること、毫釐にあらずといへども、あひはなれあひさることを論ずるには、すなはち十万八千よりもあまれる深遠なり。いかにあらんかこれ過去心といはば、かれにむかひていふべし、これ不可得と。いかにあらんかこれ現在心といはば、かれにむかひていふべし、これ不可得と。いかにあらんかこれ未来心といはば、かれにむかひていふべし、これ不可得と。いはくのこころは、心をしばらく不可得となづくる心ありとはいはず、しばらく不可得なりといふ。心うべからずとはいはず、ひとへに不可得といふ。心うべしとはいはず、ひとへに不可得といふなり。またいかなるか過去心不可得といはば、生死去来といふべし。いかなるか現在心不可得といはば、生死去来といふべし。いかなるか未来心不可得といはば、生死去来といふべし。


今月の所感

img_9665.jpg-1.jpg先月は、餅売りの婆さんから、「お昼にお餅を食べたいと思う心は、過去心なのか、現在心なのか、それとも未来心のいずれなのか」と徳山が問われたまででした。
今月はその続きですが、問われた徳山は、婆さんにどう答えたらよいのかわからず、茫然として立ちすくんでしまったのです。金剛経の大学者で、金剛経に関するの解説書を数百巻も撰述し、数十年間にわたって金剛経の講義をしてきた徳山が、婆さんの一問で完全にノックアウトしてしまったのです。
絵に描いた餅ではお腹を満たすことができないように、正師につかないで、経本だけ読んで勉強しただけでは、本当の佛道をわかることが出来ないと、徳山は痛感させられたのです。徳山はその足で龍潭崇信和尚のもとに参じ、修行の末、師資相承して、佛道の真実を得た人となりました。德山のもとからは雪峰や巌頭のような偉大な禅匠が出て、その流れはやがて雲門宗や法眼宗を輩出すとことになったのです。
ところで、徳山を叩きのめした餅売りの婆さんですが、これまでの問答で本当に真実を得た人がどうかは、まだ決められません。この婆さんは心はつかまえることができないということば「心不可得」を確かに聞いていたのです。それで心というものは実際はないとのみ考えて、このような質問を徳山にしたのであろうと、道元さんはこの老婆を見ています。
img_9673.jpg-1.jpg德山も婆さんに質問された時は本物の人間ではなかったので、婆さんが本物かどうか、確かめることができなかったのですが、婆さんがもし本物であったならば、「和尚さんは今私の質問に答えることができなかった。それでは同じことを私に質問してみなさい」と何故言わなかったのか。徳山が質問して、婆さんがキチンと答えていれば、婆さんはそれこそ本物の力量を持った人であると道元さん仰っています。でも実際は、婆さんは餅を売らずにサッと袖を振って帰ってしまっただけなんです。
本当に力量のある婆さんであったなら、徳山と心不可得について二人で参究し、同じ境地に立つような努力を惜しまなかったはずでありる。そうすれば徳山も老婆も、不可得という言葉も、可得という言葉も、餅も、心も、何の苦労もなくつかまえることができたし、それらを手放すこともできたであろうと、道元さんは述べています。でも、徳山が婆さんと共に心不可得を参究していたならば、雪峰さんや巌頭さんが世に出てきたのでしょうか・・・・
つづいて、「過去の心をとらえることができない、現在の心をとらえることができない、未来の心をとらえることができない」とありますが、その意味するところは、心をつかまえることができないと仮に名付ける心があるのではない。ただ、心そのものがとらえることができないという真実を言っているのである。また心があって、それがとらえることができないということではなく、ただ得られないという事実があり、それが心そのものだというのが道元さんの心のとらえ方なのです。
img_9666.jpg-1.jpgですから、「過去の心をつかまえることができないことは、どういう意味でしょうか」と質問されたら、「我々の日々の生き死にそのものだ」と返事すればよい。「現在の心をつかまえることができないことは、どういう意味でしょうか」と質問されたら、「我々の日常生活そのものだ」と返事すればよい。「未來の心をつかまえることができないことは、どういう意味でしょうか」と質問されたら、「我々の日常生活そのものだ」と返事すればよいと、道元さんは喝破されています。
徳山と婆さんとの問答についての道元さんの解説は何とか理解できますが、道元さんの心についての解説になると、凡夫にとって理解することはなかなか難しいですね。

「心不可得(後)」のご提唱が終わり、茶話会に移った時、ご老師から高野千代子様が8月17日に90歳でお亡くなりになられたことが報告されました。高野さんは元警視庁の婦人警察官で、婦人警官の制度が始まった時に採用された婦警さんだそうです。参禅会では『明珠』の創刊号から12号まで編集に携わられました。平成20年頃まで参禅会には来られていましたが、体調を崩されてからは参禅会でお会いすることがなくなりました。そのため、坐禅堂建設に際しては多額のご寄付をなされたにもかかわらず、一度も坐禅堂で坐ることがありませんでした。
さらに、坐禅堂開単式で西堂をお務めになられた、米本の長福寺の吉村老師が8月13日にお亡くなりになられたことが報告されました。吉村老師は坐禅堂建立にあたっては200万円の淨財をご喜捨してくださったにもかかわらず、匿名を希望された稀有な方です。
全員でお二人のご冥福をお祈りして、1分間の黙祷をささげました。


刑部坐禅普及委員からのお知らせ

img_9675.jpg-1.jpg・8月31日に大和ハウス工業柏支部設計協力会の方々17名が坐禅体験会を行いました。今回はこれまでの坐禅体験会の経験を踏まえて、最初に小畑委員長に坐禅のもたらす効用についてお話いただき、次いで五十嵐副委員長には調身・調息・調心についてわかりやすく説明してもらい、坐禅についての基本的な機能を理解してもらってから坐禅堂で坐禅体験に入りました。今回の坐禅体験者は、もう一度坐禅をしたくなるようになったのではないかと期待しています。

清水坐禅普及委員からのお知らせ

・坐禅普及委員会では親子坐禅体験会を開催したい考えています。ボーイスカウトとかガールスカウトなどに伝手のある方は、ご協力をお願い致します。また、華道や茶道のように坐禅に親しみやすい教室をご存知の方は、お知らせください。

小畑代表幹事からのお知らせ

・高野千代子さんの四九日の前日にあたる9月24日に、ご子息のお宅へ弔問に伺い、ご仏壇にお参りしてきました。また吉村老師の密葬は9月19日に行われ、ご老師と二人で喪儀に参列いたしました。

ご老師からのお知らせ

・『明珠』68号が発行されました。毎号発行される度に関係者にお送りしていますが、「すばらしい内容だ」と常にお褒めの言葉をいただいています。

今月の司会者 河本 健治
今月の参加者 33名(新人2名)
来月の司会者 杉浦上太郎

最終更新日 ( 2018/04/30 月曜日 10:13:23 JST )
 
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