平成二六年四月降誕会報告 プリント
img_5291-1.jpg花まつりが4月8日(火)に梅華講員と参禅会員8名が参加して行われました。9時から一炷の坐禅を行い、10時から本堂で法要の準備にとりかかり、10時半からは法要のリハーサルを行い、11時から法要が始まりました。法要の後、ご老師から次のようなお話を頂きました。

今日はお釈迦様の生まれた日です。お釈迦様のお母さん(マーヤ夫人)はお釈迦様が生まれて7日目に亡くなられ、その後はお母さんの妹さんに育てられました。お釈迦様は叔母さんに育てられたことを知るのは、大きくなってからでした。そのため母親に対しては生涯慕わしく畏敬の念を持たれていましたが、このことはお経の中に多く書かれています。
ところで子守唄の研究家として松永伍一さんという方がいます。かつては教員でしたが27歳の時に福岡から上京し、小説家になろうと郷土出身の小説家松本清張に師事しました。ある日母親が夢に出て来て、「お前は人を謗ったり、悪口を言ったり、殺すような小説を書くな」と言ったそうです。それで伍一は小説家になることをやめて、子守唄の研究を始めました。
img_5279-1.jpg伍一の母親が亡くなった日に、お姉さんから次のような話を聞かされました。「あなたが生まれてきたのは奇跡的な事だったのです。お母さんがあなたを産んだのは44歳の時で、しかも8番目の子供だったのです。その頃の農村は大不況のため疲弊しており、疫病も蔓延しており、お母さんは44歳と高齢だったので、まわりの人はあなたを生むことに皆反対だったのです。そこでお母さんは水風呂に入ったり、お腹を木槌でたたいたりして、何とか自分で処置しようとしたのですが、あなたの生命力が旺盛だったのか産まれてきたのです」。
お姉さんからこのことを知らされた伍一さんは大変なショックを受け、葬儀の時に「母上様私を産んでくれてどうもありがとう、伍一」と書いた手紙を棺の中に納めたそうです。
その後発奮し先生となり、上京して小説家になろうとした時、母親の夢を見たのです。夢を見てからは殺人に関するようなことは一切書かず、もっぱら子守唄の研究に打ち込み『日本の子守唄』を角川書店から出版するなど、日本一の子守唄研究家となりました。
今の殺伐とした日本では、赤ちゃんをベビーシッターに預けたところ、殺されるような事件がありましたが、赤ちゃんを簡単に預けるところに親子の絆の薄さを感じます。
松永伍一さんは《命の讃歌》を書こうとしました。これはまさに仏教的なものです。仏教は命の一番基本的なものを大切にしています。自分の命があるのは母親がいたからだという意識は男性には薄いようです。男性はその点は大いに反省しなければならないと思います。
img_5281-1.jpg私は昭和19年の暮れごろ、戦況が厳しくなって来たので学校から「皆さん防球頭巾をかぶって登校しなさい」ということを土曜日の聞かされ、月曜日には防空頭巾をかぶって行くことになっていました。ところがそれを母親に伝えることを忘れていて、日曜日の夜になって「明日防空頭巾をかぶってこいと言われた」と母親に言ったところ、ものすごく怒られました。
母親は怒りましたが、月曜日に目覚めると枕元には防空頭巾が置いてありました。母親が徹夜で作ってくれたのです。目が真っ赤でした。母親は子供のためにそういうことまでしてくれるのです。
お釈迦様の誕生日に因んで母親の思い出をお話をしましたが、母親は60数年前に物故しました。この年になってますます懐かしく、慕わしく、恩をたくさん感じている次第です。
最終更新日 ( 2014/04/29 火曜日 23:21:14 JST )
 
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